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五ログ
Copyright 2003-2021 GOKANBASHI WATARU. 気がつけば、明日は七夕です。いつの間にか今年もすでに半分が終わっていたというコトです。中間チェックで今年を振り返るには、ちょうど良いタイミングですよね。そういえば、今年はあまり映画を観ていないなと、メモを確認してみたら、14本。年間40本ぐらいは観たいので、ちょっと少ないペースですね。 今年観た映画で一番心に残っているのは、「ブラック・スワン」。なんと言っても、黒鳥のターン。黒鳥の表現に悩まされ続けていた主人公のニナ。彼女が最後に魅せる黒鳥は、劇中の観客だけでなく、私もすっかり魅了されちゃいました。ダンスの技術的な部分は、編集を駆使してリアリティを醸しつつ、一方でCGも駆使して観客を狂気の世界へと道連れにしてくれる。あのシーンは脳裏にこびり付いて忘れられません。果たして、ニナはどうなったのか。その解釈は完全に観客にゆだねられている。私はニナは伝説になったと思っている。生ける伝説にね。 あと、「八日目の蝉」も良かったなぁ。永作博美は昔から大好きだったのだけれど、この映画で惚れ直しました。他には「バー・レスク」も印象に残っている。ストーリーは陳腐だったけれど、主演の「クリスティーナ・アギレラ」がエロカワイイんです。カワイイと言えば、「ノルウェイの森」の緑も大好き。小説を読んだときも、他の男の影がある直子よりも、緑を愛するべきだと思っていた。その思いは、映画を観て更に強くなりました。自分がどこにいるのか分からなくなったワタナベは、きっと緑と結ばれたのだと確信したい。 2011.7.6 今日は大雨でしたね。子供の頃は3回に1回ぐらいの確率で、雨でも傘を持っていなかったものです。例え、朝忘れずに傘を学校へ持って行ったとしても、帰りは忘れて帰ります。しかも、その帰宅途中で雨が降り始めるのです。当然のごとく、翌日の朝も傘が無く、泣く泣く雨の中を駆け抜けていくハメになるのです。もちろん、家族の傘を借りればよいのですが、そうすると学校に傘を忘れたことを告白しなければなりません。それで叱られるぐらいなら、雨に濡れて登校する方が遙かにましでした。バカですよね。こんなバカのためにも、傘を忘れたぐらいで子供を叱らないようにしましょう。 でもね、少々雨に濡れるぐらいなら問題ありません。濡れて困るのは教科書です、ノートです、体操服です。教科書が濡れてしまうと、どんなに乾かしてもシワシワなままです。そんなシワシワな教科書を使っていると、一度濡らしてしまったことはあきらかです。それは新学年を迎えるまでついて回るレッテルになってしまうのです。ノートが濡れると、その役目をなしません。濡れたノートにメモなんかとれません。無理矢理えんぴつで強く書き込んでも、うすらぼんやり。下手をすると、数日後には消えて無くなっちゃうのです。 最悪なのは体操服であることは、万人が否定しないでしょう。体操服入れを迂闊に振り回していると、例え傘を差していたとしてもずぶ濡れです。体操服が濡れてしまったことに気がつけばまだマシです。干して少しでも乾かしておくことは可能です。でも、濡れたことに気がつかなかったり、一時間目が体育だったりするとどうしようもありません。濡れた体操服を着込み、体育館での授業にもかかわらず、パンツまでぐっしょりになっちゃうのです。これが水泳の日だと、水着が濡れていても問題なく、パンツが濡れてしまうこともありません。それでいい気になっていると、授業が終わってシャワーを浴びた後、体を拭くはずのタオルが濡れていて途方に暮れるのです。小学校の頃の良い思い出です。 2011.7.4 iPhoneを使いこなすようになってから、パソコンを起動させる機会がめっきり減ってきました。タマに起動しても、メールのチェックや家計簿の記入で終わってしまいます。少し気合いが入っているときはウェブサイトの更新もしちゃいます。でも、それらを終えると、とたんにパソコンに興味を失ってiPhoneに戻ったり、本を読んだりしてます。このパソコン高かったのに、全然活躍できてません。いや、活躍させる方法はあるのです。もっと使えばよいのです。テキストエディタを開いて、取り留めのない文章やバカげた文章を書いて、シコシコとアップロードしていればよいのです。その証拠に、その気になれば、こうやってツマラナイことを永遠と書き続けることは可能なのです。 なのですが、Twitterがその足かせになっておりました。といっても、ツイートしすぎで文章を書くヒマがないという訳ではありません。Twitterで更新報告を行うからには、それなりのことを書かなければならないだろうという勝手な思い込みです。そもそも、私ごときに大したことが書ける訳がないのですから、そんな心配は無用。ドンドンと書いちゃえばよいのです。でも、やっぱりTwitterで更新報告するのは止めちゃいましょう。なんだかその方が気楽です。 そんな取り留めもないことを考えていた日曜日もあと僅か。用事のない週末ってあっという間に終わってしまいますね。 2011.7.3 ゴキブリを一匹見たら、その30倍はいると言われます。同様に、靴下の穴を見つけたら、その3倍以上は穴が開いているようです。今朝、靴下に穴が開いてたので、別の靴下を持ってきたら、それも穴が開いてました。仕方がないのでもう一つ持って来たら、やっぱり穴が開いてました。穴の開いてない靴下同士を新たなペアとして、今朝は事なきを得ましたが、もうストックがほとんどありません。ヤバイです。 フィギュアのペアやバドミントンのペアと違い、靴下のペアは如何に両者が似通っているかがポイントになります。男女分かれていたり、お互いの短所を補っている必要は無いのです。靴下の場合は、生地のへたり具合、色あせ、ゴムの伸びなどあらゆる分野での同期が必要とされます。柄が違うなんて以ての外、左右で柄の違う靴下なんて格好悪くて穿けません。 そういう意味では、今朝の穴が開いてない靴下は奇跡的なペアでした。両者共に経験豊富なベテランなのに、全く違和感のない連携プレイを披露してくれてます。色あせはまるで双子のよう。ゴムのズレ落ちる感覚はほぼ同じ。カカトが若干薄くなって、近々穴が開きそうな気配がしているところも、そっくりうり二つ。それはもう完璧なペアです。早く新しい靴下を買いに行きましょう。 2011.4.5 今年も、ついついウッカリ気がつけば4月でした。子供の頃を思い返すと、4月に対する印象はとても薄いものでしたね。そう、当時は春休み真っ最中でノホホンと4月を迎えていたのです。エイプリルフールが春休み中に過ぎ去ってゆくのが若干の不満でしたが、だからと言って、4月1日を登校日にするべきだとの主張をすることもなく、ただ毎日遊びほうけておりました。 そんな4月が社会人になってからガラリと一変。トンデモナイ月へと変貌を遂げたのです。春休みを満喫していたはずの3月末は、まるで生き馬の目を抜く様にドンドンと刻が過ぎ去っていきます。生き馬の目ですよ。そんな惨たらしいことが、年度末には毎年のように執り行われていたのです。子供には知るよしもありません。 でも、最近やっと理解できました。そんな生き馬の目を抜く光景、とても子供には見せられませんよね。だから、年度末は春休みの名目の元、子供は自宅待機させられるのです。生き馬の惨たらしい嘶きは、ただむなしく無人の校舎に響いてゆくのです。そうやって、子供たちの健全な精神は守られていたのです。 2011.4.1 瓶ビールってカッコイイと思う。いや、カッコイイとは違う。何か不思議なノスタルジーが瓶ビールには内包されている。缶ビールの様に、容易には開けることの出来ない栓。その栓をスポンと栓抜きで開けたとたん、そこから不思議な何かが溢れ出てくる。そりゃ、冷えてないビールなら泡が溢れ出てくるかもしれないけれど、そんなものはどうでもよろしい。ここで言っているのは、瓶ビールに詰まった不思議な魅力なのだ。そんな魅力と一緒にビールをグラスに注いでグイッとあおる。不味いわけがない。 瓶ビールには、その居並ぶ姿からして風格がある。居酒屋で飲んでいて、ふとトイレに立ったとき、そのトイレに通じる裏手にビールのケースが山積みにされている。そんなケースを眺めていると、ノスタルジーがやってくる。そう、私が子供の頃はビールと言えば瓶しか存在しなかった。昭和のあの頃、父親は毎日のようにキリンビールを飲み、玄関先には常にビールケースが山積みされ、定期的に酒屋がビールを届けに来ていた。子供の頃は、そんな光景を目にする度、子供と大人の違いを思い知らされた。あの褐色の瓶を自らのグラスに傾けても良いのは大人だけ。子供は見まねで麦茶を傾けたり、コーラでプハーと言うのが精々だった。 そんな瓶ビールが我が家から消えたのはいつの頃だろう。少なくとも、私がビールを飲める年齢に達したときには、すでに缶ビール。それは憧れの飲み物から、単なる手軽なアルコール飲料に成り下がっていた。恭しく、酒屋に月々のビール代をまとめて払う風景は消え失せ、ビールはどこでも気軽に手に入るものになってしまっていた。そこに居並ぶのは缶ビール。でも、ビール初心者の私はそんな缶ビールでもこよなく愛せた。飲めるだけでシアワセだった。 それが、今では缶ビールにシアワセを感じることが出来ない。ビールを飲めるのが当たり前になってくると、次なる欲求が湧いてくる。子供の頃に憧れた、あの瓶ビールを飲みたい。でも、普段は便利な缶ビールを飲み、瓶ビールへの憧れを更に募らせていくだけ。そうして、ふと居酒屋で居並ぶ瓶ビールを見かけると、それだけで胸がキュンと昭和に戻ってしまう。なんともやっかいな性分だと思う。でも、この不自由な性分、案外嫌いではない。 2011.1.13 年が明けて気が大きくなってます。その証拠に、サイトのデザインを一新しようかとの企みが、フツフツと沸き上がっております。やっぱりこれからは HTML5 でしょう。それにスマートフォンからの利用も考慮したい。となると、やっぱりフレームワークに手を出すべきかな。理想的なのは、コンテンツとデザインが完全に分離した構成。コンテンツは一つ、デザインはPC向けとスマートフォン向けの両方を用意する。可能ならケータイ向けも用意できるといいな。良いフレームワークを選べば、そういう構成にできそうな気がします。まずはフレームワークの調査から始めなくちゃ。で、それを使いこなせるようになって、デザインの一新は、たぶんその後。おそらく来年ぐらいでしょうか。新年早々、鬼が笑ってます。 2011.1.1 昔から、本屋でレジに並ぶのが苦手です。だって、ほら、レジに並んでいる時間ってもったいないじゃないですか。その数分の間、折角だから新書のコーナーをもう少し物色しようと思うのは、自然な流れではないでしょうか。そうして、新しい本を見つけて再びレジへと向かうと、さっきよりも長い列が出来ているのです。さっきの列には並ばなかったのに、この列に並ぶのはなんだか癪です。コミックのコーナーでもう少し物色しようと思うのは、自然な流れなのです。 そうして、新しいマンガを見つけて再びレジに向かうと、トンデモナイほど長い列が出来ているのです。そんなこんなで、私は本屋で列に並ぶのが苦手になっていくのです。先日も、同じような流れで本屋に一時間以上滞在してしまいました。しかも購入した本は10冊以上。そんなに沢山の本を抱えて、本屋の中をウロウロするのは大変なのです。この苦手、いったいどうやって克服すればよいのでしょうか。などと不満を漏らしつつ、本当は楽しんでいるのですけれどね。ただ、本屋にもカゴを置いて欲しいな。 2010.12.6 先週は西条の酒まつりに行ってきました。朝、早めに出かけてまずは駆けつけ3杯。掛井酒店でドイツビールのクローンバッハー・デュンケル、賀茂金秀の純米大吟醸、賀茂泉で酒まつり限定酒。早い時間なのでJRも混雑してなかったし、町を歩いてても人はまばら。やっぱり酒まつりは早い時間にこなくちゃね。で、友人と待ち合わせて、美酒鍋へ。実は初めての美酒鍋。鍋と言うよりは、すき焼きに近い雰囲気。塩とコショウという味付けだし、野菜中心だし、胃袋に優しくてモリモリ食べちゃった。その後は友人と別れて一人でぶらぶら。山陽鶴、賀茂輝、賀茂鶴などを巡って、途中で小イワシの天ぷらやゴボウの唐揚げを買い食い。これが楽しいんだよね。 酒を堪能した後は落語。一気に広島市内まで戻って、広島生らくご「柳亭市馬独演会」。五代目柳家小さんのお弟子さんです。今回はチケットが余っていたので当日券を購入。前座は市也の「牛ほめ」。その後、市馬が登場して「目黒の秋刀魚」。秋らしい噺で、思わず秋刀魚が食べたくなる。その後、林家楽一の紙切り芸を挟んで、トリは「掛け取り美智也」。古典の「掛け取り」をアレンジした落語で。キモは三橋三智也の歌なんだけれど、私にはサッパリ。周りに座る年輩の方々が大笑いする中、ひとりポツネンと聴いていた。少し寂しい。でも声はとっても良かったなぁ。噺家らしい美声を堪能させて貰いました。その後、帰宅途中に居酒屋によって秋刀魚の塩焼き。今年の秋刀魚はやせ細って脂がのってない。気分は目黒の殿様だった。 翌日、連休の最終日は朝から晩まで手羽先と睨めっこ。安い手羽先を量販店から購入してきて、解凍と下味の繰り返し。約150羽分の鶏の手羽を見送った。手は鶏の脂でベットベト。洗っても匂いが落ちない。でも、皆さん美味しいと言ってくださったので、苦労した甲斐はあったかな。あっ、そういえば、結局一口も手羽先を食べてないや。今更ながら悔しくなってきたぞ。今度食べに行こうっと。 で、平日はまじめに仕事して、まじめに飲み倒して、昨日は東雲の面館に初訪問。ウワサのピリカらーめんを頂く。しかも1辛。0辛でも随分辛いと聞いていたので、ちょっと冒険。でも、実際に食べてみると、そんなに辛くなかった。これなら2辛はいけるな。ムリすれば3辛。今回は普通麺にしてみたのだけれど、ちょっと柔らかい。次回は細麺を試してみよう。まずは、カレーッピらーめんの細麺だな。その後、2倍、3倍と試していこう。 2010.10.17 今年は猛暑の影響で、夏場は自然とお好み焼きの回数が減っておりました。どんなに暑くても週に一度のペースを崩したことはなかったのに、今年は7〜9月で4枚のお好み焼きしか食べておりません。そんなワケで、今月はお好み焼き強化月間を宣言してみました。今週はその出だしなので、特に集中してお好み焼きを食べ歩いております。月曜日から4日連続お好み焼き。明日も食べるつもりなので、5日連続お好み焼きの予定です。 そんなお好み焼き強化月間をTwitterで宣言すると、「何日間お好み焼きを続けられるかやって欲しい」との返信。週末の連休はいろいろと遊ぶ予定なので、連続お好み焼きは5日が限界。でも、ちょっと気になる。私の連続お好み焼き記録はいったい何日なのだろうか。ネットに日記を付けていると、こういうときに便利ですね。早速、ログを解析して調べてみました。 2000年からのログによると、ここ10年間の私の通算お好み焼きは768枚。年間で平均80枚弱のお好み焼きを食べていることになります。枚数の最も多い年は2003年の138枚。イチローの年間262安打には遠く及ばない数字です。気になる連続お好み焼き記録は14日。これは2003年5月28日から6月10日の間に記録。最後の6月10日は、昼と夜の両方でお好み焼きを食べるという、マルチお好み焼きも記録しております。ちなみに、マルチお好み焼きは計6回。2004年に限っては、年間で4度ものマルチお好み焼きを記録してました。次に月間お好み焼き記録。これは2006年4月に18枚を記録しております。 2006年からは更に詳細な記録が残っておりまして、最もお好み焼きを食べた店は五日市駅前の「ぼう。」で、5年間で23回食べてます。ちなみに2番目は「タンポポ 三筋店」の20回。正直なところ、多いのか少ないのかよく分かりません。最近回数を伸ばしてきたのは「としのや五日市本店」の7回。もし昼の営業もあればもっと回数が増えていたはずです。あと、意外なところでは、「すてっぷ系列」や「ちんちくちん系列」などの居酒屋お好み焼きチェーン店の利用が多いですね。夜遅くに大人数で飲めたり、昼過ぎの3時ごろでも酒盛りできる便利さがそうさせているのでしょう。 気になるのは、私の年間お好み焼き記録。2003年の138枚をピークに年々成績が下がってきてます。書き出してみると、 2000年 36枚 ここ数年あきらかに枚数が減っております。こんな成績ではメジャーに挑戦どころか、そろそろ戦力外通告を受けかねません。このオフはフォームの改造に取り組んで、来期は復活の年にしなければなりません。目指すはメジャー。その世界は年間お好み焼きが200を越える選手がウヨウヨ。厳しい世界ですが、私もその世界で活躍できる選手になりたいものです。 2010.10.7 昨日は二日酔いの身体に無理やりみそ汁を流し込んで仕事へ行って来ました。それもこれも前日の広島の酒祭りで飲みすぎたせいです。いやぁ、楽しかったなぁ。 普段お目にかかれない酒蔵の酒が並んでて目移りしちゃって、思わず飲み過ぎちゃった。特に初めてのんだ「神雷」がお気に入り。また飲みたいな。 酒祭りには開場と同時に入ったのだけど、すでに知り合いがチラホラ。時間が進むにつれて、知り合いがどんどん増えて最後は酒盛り状態。祭りが終わった後も、ハシゴ酒で店を変えるたびにメンバーが増えていく。 最後の店で突如限界を感じて先に失礼させてもらい、帰ることに。銀山町から電車に乗ったのは良いのだけど、次に気がつくと、そこは何故か宮島口。なんとかタクシーを見つけて無事帰宅して布団へ。そして冒頭にいたる。みそ汁がヤケに身にしみました。 2010.10.3 もうすぐ30歳になる後輩がいます。先日、その話題になり、こちらの世界へようこそと歓迎すると、「でもアラサーですし」と返してきた。確かに私はアラフォー、彼とは住む世界が違うのです。その場では納得したけれど、よくよく考えると都合が良すぎる。そこでやっと気がつきました。アラサーにしろ、アラフォーにしろ、自己欺瞞から生まれてきたものだったのね。知りませんでした。 30や40の大台を迎えることは人生の転換期。そこには果てしないストレスが潜んでいる。そのストレスを回避する方策としてアラサーなどという表現が生まれたのですね。これにより、少なくとも5年は安泰なのです。アラサーという言葉が生まれてからまだ4年ほど。そう、当時アラサーの前半だった人たちは、30を過ぎても未だにアラサーなのです。なんと便利なのでしょうか。 問題は、この人たちがアラフォーに突入するとき。もしかすると新たな表現が生まれているかもしれません。まるで月刊誌が9月に11月号を出版するように、年齢の先取りが横行するかもしれません。アラウンドサーティーの次は、40台予備軍でしょうか。30台の人たちをひっくるめて、次は40台になる人たちと呼ぶのです。さしずめ、リザーブフォーティー。略してリザフォー。そうしてその次は、30後半からアラフィー予備軍。リザーブアラウンドフィフティーン。略してリアフィー。もう訳が分かりませんね。 2010.9.27 最近、やっと落ち着いてiPhone4をいじくりまわしてます。いや、これスゴイですね。指でツイーツイーと操作できるし、アプリはどれも直感的。それに新機能のマルチタスクは、それ以前の環境が想像できないほどの利便さ。つい数ヶ月前までは、アプリの同時起動ができなかったなんて、そんなの信じられない。乗り換え検索をしながら、スケジュールに予定を書き込むときは、いちいちアプリを終了しなくちゃいけなかったんだ。ありえな〜い。 などと、気分は携帯電話がなかった頃を知らない高校生みたいなもの。不便な頃を知らないのは幸せであり、負い目でもある。そう、私はマルチタスク以前のiPhoneを知らないヤツなのだ。不便だった頃のiPhoneを懐かしむ話題に、ただニコニコと話を聞いていることしかできない。 だからと言って、iPhoneを活用するテンションは下がらない。先日、iPhoneカレンダーとGoogleカレンダーを連動させるワザを知って、そのテンションは鰻登り。いや、これ、まじヤバイ。すでにiPhone中毒一歩手前です。片時も手放せません。 2010.8.25 先週、ホタルを観に行ってきました。観に行くにあたって、Twitter上でホタルの予備知識を沢山いただいたので、その情報をまとめてみます。 ・ゲンジボタルは水辺に生息している。広島近辺なら6月中〜下旬。7月に入ると減ってくる。 オススメの場所は、 で、今回私が行ったのは安佐南区の奥畑。奥畑は昔からホタルが沢山生息していたが、10年ほど前に増水を経験し、その後行った河川工事の影響もあり、ホタルはいなくなった。それでも、地元の方々がいろいろと努力され、ホタルの生息環境を取り戻し、今では沢山のホタルが戻ってきているとのこと。そんな話を聞いて、場所も遠くないし、行くなら奥畑かなとチャンスを窺っていた。 そうして、先週の金曜日。数日間雨が降っておらず、天気予報では明日から雨。これは行くべきでしょうとツイートした直後、雨が降り始めた。やっぱり私は雨男だなぁ。それでも、早めに止めば大丈夫との助言を頂いて決行。 奥畑は安佐南区伴から湯来町へ抜ける県道71号線沿いにあった。現地に到着すると「奥畑ホタルの里」の地図がポツネンと貼り出されている。手書きのかなり分かりにくい地図だけど、必死に解析してみる。どうやら近くの集会所を駐車場として開放しているみたいなので、そこに車を停めて歩くことにした。 数分歩いて、ホタルの里に到着した頃、丁度辺りが真っ暗になり、ポツポツと雨が降り始めた。仕方がないので傘を準備していたら、目の前にホタルがポワッと現れる。時間は8時5分。その一匹を合図にするかのように、辺りの木々でホタルが灯り始め、飛行しながら光るものも現れてきた。手を伸ばせば触れそうなトコロをホタルが舞っているんですよ。こんなに近いのは初めてかも。ふと、遠くの雑木林を見上げると軽めの乱舞をしている。すごいなぁ。 約30分の間にのべ5〜60匹は光っていたと思う。その間、私の他に子供連れが一組、数分ほど見に来ただけ。ほぼ私の独占状態。ちょっと勿体ないなと思いつつ、思いっきりホタルを満喫してきました。そうそう、長靴を持ってなかったので、河原には降りませんでした。蛇怖いもん。 2010.7.5 新しい洗濯機がやって来ました。SANYOのTQ-900。以前使っていた洗濯機が、乾燥中に発火の恐れありとのことでリコール。無償で交換してくれることになった。本来であれば、昨年末ぐらいに交換予定だったのだけれど、交換機種の生産が追いつかず、一ヶ月延び、二ヶ月延び、とドンドン延びていた。そうして先月、新機種が発表されたので、そちらに変更できないかと問い合わせたら、すんなりオーケー。梅雨時期、乾燥機能が使えるのは嬉しいな。 もっと嬉しいことに、新しい洗濯機はエアウォッシュ機能が付いている。水も洗剤も使わずに匂いが除去でき、殺菌作用もあり、軽い汚れなら落とせるとのこと。早速、帽子やらカバンやら、普段洗えない物を洗うと、確かに匂いが取れてる。これからは、石油系ドライマークの服も気軽に買えるようになった。スーツなども夏場は頻繁にこれで洗おう。他にも洗える物はないかなと色々試していることろです。一日にこんなに洗濯したのは初めてかも。サンヨーさんありがとう。きっと、沢山の洗濯機を無償交換してきて大変だっただろうな。次もサンヨーの洗濯機にするので、許してね。 2010.7.4 高校生らしき団体と遭遇した。何かを見学をしているのか、とあるビルのロビーでガヤガヤとうるさくしている。その周りを引率らしき先生が右往左往している。先生は、見学先の担当者とのやりとりに追われつつ、生徒の統制にも苦慮している様子。先生も大変だなと思っていたら、先生は生徒を整列させ、その場に座るように指示を出した。うん、確かにそれならば生徒はウロウロしないよね。でも、ビルのロビーで座り込むのは異様な光景。そんな光景を見ていて、ふと気がついた。 ここ数年、ところ構わず地べたに座り込む中高生が目立っているけれど、それは教師の指導の影響も少なくないのではなかろうか。子供の頃から、ビルのロビーでも座るように指導されていれば、そりゃ、その辺の地べたに座り込むのにも抵抗はなくなる。教師は、楽に生徒を統制する方策をとっているのだろうけれど、それが生徒のマナーに悪い影響を及ぼしているのではないだろうか。そうして、そんな教師が「近頃の子供は平気に地べたに座り込んだよ」などと嘆いていたとしたら、これほど滑稽なことはない。 そう思い至って、私が子供の頃はどうだったかを思い出そうとしたけれど、どうにも記憶が曖昧。私の先生も、ところ構わず座るように指示していたような気がする。いや、サスガに時と場所をわきまえていたような気もする。きっと、その両方なのでしょうね。教師によって、わきまえる者とわきまえない者がいたのだと思う。それが、今はわきまえない教師が増えてきたのかな。一概に、それが原因と決めつけるのは乱暴だとは思う。でも、理由は何であれ、子供の責よりも、大人の責の方が大きい問題だと思う。しかし、非難は子供に向けられている。 2010.6.23 昨日はピクニックに行ってきた。もともとTwitter上でピクニックの話がまとまっていたのだけれど、開催日が雨の予報。いったん中止にしたけれど、当日になって雨が降ってなかったので、急遽ピクニックを決行。 朝、Twitterでピクニックに行く旨をツイートして、飛び入り参加を求める。少しドキドキしながら一人で現地に向かい、タープを張って一息。で、Twitterを確認すると、参加のツイートを発見。初対面の方。ドキドキしながら返信してみる。 一安心して、ビールをゴクリ。そして本を取り出し、ひとりで読みふけっていると、ふと声をかけられる。昨晩の食事会のメンバー。そうそう昨晩の食事会もTwitter繋がりだったんだよね。更にもうお一人、やっぱり昨晩のメンバーが立ち寄られる。2人とも仕事で参加できなかったのだけれど、様子を見に来てくれた。Twitterの繋がりが嬉しいな。 そうこうするうちに、最初の参加者が自転車で登場。初対面なので、声をかけるのに勇気がいっただろうな。ありがとうございます。その後は、続々と集まってくる。そうして、集まったメンバーのツイートで、更に新しいメンバーがやってくる。この芋づる式がとっても良い感じ。参加できなかった方からも、次回は参加したいとのツイート。こんなに楽しいピクニックなら、また開催します。 そうして、Twitterのタイムラインで、廿日市で雨が降り始めたとの情報を受け撤収。最初から最後までTwitterを最大限に有効活用したピクニックだった。こりゃ楽しいよ。 2010.6.21 先々週にカープの試合を観戦に行って、しこたま飲んで、それなのに二次会でカープ敗戦の反省会で更に飲んで、それでも何とか家にたどり着いたのだけれど、翌朝起きると体中が痛い。そういえば、酔ってフラフラになって、どこかで壁に激突したような記憶がある。まぁ、壁にぶつかったぐらい大したことはないでしょうとタカをくくっていた。 で、今週。まだ痛い。左の膝だけが未だにジクジクと痛んでいる。いったいどんな壁に激突したのか、何をしていて激突したのか。当の私に尋問したいところだけれど、覚えてないらしいので、どうしようもない。 私は酔うとキモチが大きくなる。「こんなに酔っているのだから、最寄りの駅からタクシーで帰ろう」などという考えはこれっぽっちも浮かばない。ヘラヘラとやって来た広電に乗り込み、タクシーも人気もない停留所で下車し、そこからテトテトと歩いて帰ってしまうのだ。そうして、翌日、痛む体をさすりながら、タクシーで帰るべきだったなと、次回はそうしようと心に誓うのである。そうして、数日後、やっぱりテトテトと歩いて帰る私がいる。 どうすれば、酔った私に、タクシーで帰りなさいと助言を与えることができるのでしょうか。やはり、お酒を控えめにして、あまり酔っ払わないようにすべきなのでしょうか。そうすれば、充分な理性を保つことができて、酔っ払った自分に冷静にダメ出しをし、タクシーで帰ることを選択できるはずです。でも、そこまで冷静なら、タクシーを使わないでも、歩いて家まで帰れますね。 問題は、その判断能力を失っているときなのです。そういうときに限って、節約魂を発揮してタクシー代をケチっているのです。まだ広電が動いているじゃないかと、タクシーなんて勿体ないと思ってしまうのです。あぁ、そうだ。広電が終わる時間まで飲み歩ければよいのですよね。そうすれば、最寄り駅からタクシーを使えるのです。そうか、私がタクシーを使えないのは、まだ飲みようが足らないからですね。 でも、酔いが深いときって、意外と終電の時間に細かいんですよ。細かいからこそ、自分の足取りに変な自信を持っちゃうのです。家にたどり着くのも案外難しいものです。 2010.6.15 先日の健康診断で、担当医から一日一万歩あるくように言われてしまった。走るのは苦手だけれど、歩くのはキライではない。なので、ちょっとウォーキングを試してみることに決定。歩くからには、シューズだけはケチってはならない。いつも読んでいる、さとなおさんのサイトで足底炎の怖さを読んだので、それを読み返す。「アートスポーツで買ってきたぞ」 で、真似っ子で私も足を計測してみる。祇園イオンモールの「アシックスウォーキングショップ」へと向かう。そうして、足の計測。思っていたよりも簡単な計測。日比谷のアートスポーツほど良い設備は揃ってないみたい。残念。「本通ヒルズ」にも似た設備があると聞いたけど、そっちの方が良かったかな。でも、あのビル。なんだか変な空気をまとっていて、入りにくいんだよね。 ともかく、足を計測して貰ったのだし、その店でシューズを購入。人気のモデルなんだって。特に、健康診断直後の時期はよく売れるとのこと。はい、私もその口です。担当医に脅かされました。完全に見透かされてますね。 そうして日が暮れて、早速歩こうと思ったら、雨が降っている。天気予報によると明日も雨。やばいなぁ。このままズルズルと穿かずに終わっちゃいそう。平日でも晴れた夜は絶対に歩くぞ。と、ここに決意を書いておけば、ちゃんと歩くはず。などと、自分を完全に信用できていない状態です。 2010.5.22 やばいことに新しい車が欲しくなってしまいました。値段はまだ不明なのですが、おそらく300万円くらいは覚悟しなければなりません。久々のピンチです。この衝動を抑えきれなければ、よからぬ出費を覚悟しなければなりません。 とりあえず、深呼吸して、冷静になってみました。でも、やっぱり車がほしい。欲しいのはBeetle。現行モデルではなく、2012年に発売されるとウワサのある次期モデル。現行モデルの居住性の悪さを改善した上、ベースには6代目GOLFが用いられ、トランスミッションにはDSGを採用し、値段は据え置きとのウワサ。うーん、欲しくなります。 やばいので、数年先をシミュレート。5年後の私の生活をありありと想像し、そこから更に5年後に向けたプランを想定してみる。どうやっても、車の購入は二の次、三の次。優先順位が低すぎます。うん、買うのはやめましょう。お金もったいないもん。 でもね、今の車、2013年に自動車税がアップしちゃうんですよね。13年も古い車は環境に悪いとかで、余計に税金がかかっちゃうそうなのです。そうか、環境のためにも車は買い換えるべきなのか。などと、どうしても車を買い換える大義名分を探しちゃう自分がいます。 当分は、これだけで楽しめそうな予感。梅干しを見つめながら、あふれてくる唾液でご飯を食べ進むような、そんな心持ちです。 2010.4.27 朝、のそのそと起き出す。昨晩、ついうっかりワインを飲み過ぎて、けだるい朝。二日連ちゃんの朝寝坊。休日の特権です。でも、今日は早めにお出かけ。昨日買い忘れたものを買いに行かなくてはならない。ついうっかり、人混みから逃げだそうとすると、こういう二度手間になってしまうのね。反省。 で、狙っていたカットソーと、狙っていたマグカップを購入して、本日の用事は終了。終了したので、昼飯を食べようと「國松」へ向かうもお休み。それは想定の範囲内。というか、昨日食べに行けばよかったのでは?などと、自分自身に突っ込みを入れながら、並木通りの「はらドーナツ」へ向かう。店内のカフェでは、温めてくれたドーナツを出してくれるのね。うんまい。 そうして用事はなくなったので帰宅。先日購入した「1Q84 Book3」に手をかけるも、ついうっかりBook1に持ち替える。おいおい、最初から読む気かよと自分にダメ出しをしつつ、冒頭のヤナーチェックのくだりに心を奪われる。こりゃGWは読書で終わっちゃうかも。 2010.4.25 今日は朝寝坊。布団を出るとあまりにも寒いので、今日は出かけずに家に閉じこもることに決定。決定したのだけれど、やっぱりヒマなのでちょこっと外の様子をうかがうと、家の中よりも暖かい。そのまま暖かさに誘われるように買い物へ出かける。危ないとこでした。うっかり部屋の寒さに騙されて、こんなに暖かい週末をフイにするところでした。 広島市内へ出てシャレオをぶらぶらしていると、シャッターが閉まった店舗がいくつかある。そのほかの店舗も、なんだかいつもと景色が違う。地下街というのは景色が重要で、それが変わってしまうと、自分が何処にいるのかがわからなくなる。入ったことのない店も、景観という重要な役回りを持っているので、コロコロ変わると困ってしまう。 で、あまりに困ったので、というか人混みに酔ったので、シマを変える。ブンっと車を飛ばしてソレイユへ。そして後悔。そこではもっと景色が様変わりしてて、もっと人混みが酷かった。仕方がないので、新しくできたモスドを覗いてみたら、酷い行列。ちらりと見る限りでは、単にモスとミスドがくっついただけのメニューだったので、そのままスルー。疲れたので、そのまま帰宅。今日は家でノンビリ体を休めるはずが、人混みと知らない風景に疲れ果ててしまった。それもこれも、外の暖かさに騙されたせいです。 2010.4.24 先日、お昼を食べて、さぁ勘定という段になって、初めて財布に一万円札しかないことに気がつきました。小銭を必死に数えたのですが合計623円。あと107円足らないのです。なんという悪夢。恐る恐る万札を出してみると、やっぱりお釣りがない様子。店の小母ちゃんは、どこからか私物の財布を出してきて、必死にお札を数えてます。あぁ、ごめんなさい。 言い訳ではないのですが、私は必ず千円札を持つようにしているんですよ。ATMで引き落としをするときにも、必ず「両替」ボタンを押すのです。万札なんて滅多に持たないの。そう、小さな個人経営のお店で万札を出すような、空気読めないヤツじゃないハズなんです。 ついさっきなんですよ。友人への立て替え千円を返して貰ったとき。一万円札を受け取って、9千円を返したのです。そのときは、ちょうどお釣りがあったよと二人で喜んでいたのです。その喜びも束の間なのです。ホント、両替するヒマもなかったのですよ。いや、これは言い訳でしたね。 やっぱり私が悪いのでしょうか。こういう場面を想定して、千円札10枚以上を財布に常備しておくべきだったのでしょうか。いや、そんなハズはありません。それはいくら何でも気の回しすぎというものです。そう、今回は運が悪かっただけなんですよ。きっと。 でも、そんな言い訳が口にできるわけありません。お店の小母ちゃんは、ごめんねと謝りながらお釣りを用意してくれます。その、謝罪の言葉が返って辛く感じられます。他の客が、私の背中に冷たい目線を浴びせてきているような気もします。でも、やっぱり言い訳なんかできるわけありません。ただ、シュンとうなだれて、お釣りの9,270円を受け取るしかないのです。ホントごめんなさい。 2010.4.22 日が暮れたばかりの夜空。東の空にのぼり始めた満月。押しつぶされそうになるほどの存在感と、まがまがしいほどの赤さ。なぜか、この妖気あふれる月が大好き。子供の頃、その圧倒的な美しさに見とれてしまい、門限を破ってしまったことがある。親にひどく怒られたけれど、月に見とれていたなんて恥ずかしくて言えなかった。 あの時の月も赤くて大きかったのだけれど、不思議なことに頭の上に浮いていた。今考えると、そんなはずはない。大気で屈折する太陽光を受けて赤々しく輝くには、地平に近いところになくてはならない。きっと、子供の頃だったから勘違いしたのだろう。と自分を納得させようとするのだけれど、やっぱり納得できない。あれは絶対に頭の上だった。今にも落下してきそうなほど、大きくて近かい月だったはず。おかしいなぁ。 今日も妖気あふれる月が浮いていた。昨日の月が14番目と教えて貰ったので、今日の月は15夜なのだと思う。のぼり始めた月は真円で、赤く染まった中にウサギが一羽。そのウサギがピョンと跳びだしてきても、全然不思議ではない怪しさ。このままだと、いつまでも見とれてしまいそうなので、泣く泣く仕事に戻る。そうして、しばらくして、もう一度空を見上げると、憑き物の落ちたような綺麗な月が浮かんでいた。綺麗なんだけれど、この月には魅力を感じないんだよね。 2010.3.30 仕事から帰ってきて、女子カーリングのドイツ戦敗北を知った。昼のニュースではロシアに勝ったと言っていたけれど、その後ドイツに負けたらしい。これでバンクーバーオリンピックは3勝3敗。残念だけど、まだまだ決勝進出の可能性は高い。目黒萌のスーパーショットには毎回感動させられる。彼女なら、もっともっと上が狙えるはず。応援したい。 4年前はマリリンのヨーダに心奪われた。その4年間で、マリリンは、本橋麻里になった。もしかしたら彼女は、あの頃の自分を話題に挙げられるのがイヤなのかもしれない。あれは確かにお茶目すぎたけれど、その心は失ってほしくない。もしかすると、カーリングのメダル授与式では、4年ぶりのヨーダがでるかも。願うなら、金のメダルをぶら下げたヨーダであるといいな。 2010.2.22 mixiで友人の結婚を知った。婚姻届を出したと、mixiの日記に書いてあった。古い友人で、今でも親しく連絡を取り合っている。なんとなく、結婚が近いような話はきいていたけれど、直接の連絡はなかった。こういうカタチで、身近な知り合いの結婚を知るのは初めてかも。電話やメールよりも効率的で良い。 今のところ、Twitterでフォローしている身近な知り合いは少ない。でも、近いうちに、Twitterでもそうやって結婚の報告を聞くことがあるかも。いや、Twitterの場合は、もっとリアルタイムで生々しい結婚報告になるはず。「婚姻届サインなう」「役所提出なう」なんてつぶやきを目にすることもあるだろうな。 それにしても、ここ数ヶ月で、コミュニケーション手段が劇的に変わったように感じる。Twitterだけのせいじゃない。「誰しもがネットに繋がっている」それを前提として考えることが当たり前になったような気がする。その土壌は何年も前からあったけれど、ここ数ヶ月でその考え方が加速している。そろそろ熟成期の入り口なのかも。何人か、その土壌にさえも乗れてない知り合いがいるなぁ。大丈夫かなぁ。 2010.2.15 悩むのは、公共のトイレでのウォッシュレットです。折角備わっているのだから使いたいのですが、なんとなくイヤーな感じがします。ましてや、私の家は和式トイレで、ウォッシュレットに慣れてません。使い方を誤って、個室をビショ濡れにしてしまうのじゃないかと思うと、なかなか勇気が湧きません。 それに、アレって、どの程度洗えばよいのでしょうか。3秒?5秒?それとも10秒以上?水の勢いも不明です。一番強くすると痛そうですし、弱いと洗い残しがありそうです。そうそう、便器に腰掛けるポイントも分からないのですよね。どの位置に座ればピンポイントになるのでしょうか。 そんなワケで、折角職場のトイレにウォッシュレットが導入されたのに、上手に使いこなせずにいました。でも、本日、思い切って使ってみました。不安は的中。全然違うところを洗って、便器もビショ濡れ。なんだか悔しいので、使いこなせるようになるまで、頑張ってみようと思います。当面の目標は、洗っている最中に立ち上がらないようにすることです。 2010.2.9 昨日は車をキレイに洗ったので、今日は当然のごとく朝から雨。前向きに考えれば、ワックスの効き具合を確かめる絶好の機会。もちろん、最高の水はじき。雨の上がった午後はキレイなまだら模様が車体を彩ってました。それは、まるで雨後の虹のような美しさ。なワケがありません。悔しいです。 でも、折角洗車をしたので、車を点検に出してきました。小心者なので、汚れたままの車を点検に出す勇気がないのです。どろどろに汚れた車を点検に出したら、整備士さんの顔が直視できませんよね。その営業トークの裏に「よくも汚い車を出すなぁ。どういう神経をしているのだろう」という本音が隠れているのかもしれないのですよ。そんな怖いこと出来ません。 で、今日は、そんな強迫観念とは無縁なので、気持ちよく整備士さんを直視できました。整備士さんとしては、やけに直視されたので気持ち悪かったかも。ごめんなさい。 2010.2.8 湯船に浸かってボケッとしていると、取り留めのないことが次から次へと頭に浮かんできます。それは記憶のよみがえり。朝の支度をしながら考えていたこと。昼食を食べながら考えていたこと。さっきテレビを観ながら考えていたこと。あるいは、一週間以上前に考えていたことなど。本当に取り留めのないことばかり、よみがえってきます。 人は睡眠時、脳に貯まった情報の整理をしていて、その際によみがえる記憶が夢というカタチで現れると言います。もしかしたら、湯船に浸かってボンヤリとしているときにも、同じことが起こっているのかも。一日の終わりに、お風呂の中で思考に耽るのは、意外に効率の良いことなのかな。 ただ、夢と同じで、風呂から上がった後、よみがえった記憶の大半を忘れ去っているような気がします。もったいないな。今度からメモを片手にお風呂に入ろうかな。でも、それだと効率的な情報の整理は出来そうにない。やっぱり、忘れ去ってしまう記憶は素直に諦めましょう。 2010.2.1 今日は仕事をさっさと終わらせて、ゆっくり女子フィギュアを見ようと思っていたのだけれど、結局、家に帰ったのはギリギリ。目当ては、鈴木明子のフリー。この選手の目ヂカラには、いつもノックアウトされる。特に、今シーズンのウェストサイドストーリーは大好き。あの跳ねるようなステップと、フィニッシュの眼力は見逃すわけにはいかない。 結局、四大陸選手権は浅田真央の優勝で、鈴木明子は2位。きっと順当な結果なのだろうな。その結果はともかく、鈴木明子にはオリンピックで上位に行って欲しい。技術的なところは全く分からないけれど、あの演技は何度でも観たくなる。今シーズンは、バンクーバーオリンピックのあと一回きり。絶対見逃さないぞ。 2010.1.29 5歳ぐらいの男の子と3歳ぐらいの女の子が、「あっち向いてほい」をやっていた。可愛らしく、なんども繰り返している。きっと兄弟なのでしょう。すぐ近くでは、お父さんがその遊びを見守っていた。 「さいしょはグー。じゃんけんほい。あっちむいてほい」。お兄ちゃんの方が元気よく発した。やはり、最初はグーなのだ。彼らにとって、じゃんけんとは、最初にグーを出すものなのだ。お兄さんもお姉さんも、お父さんもお母さんも、お祖父さんもお祖母さんも、最初はグーと言っているのだから仕方がない。幼い彼らに、最初がグーであることに疑問をもつ余地はない。 私が子供の頃は、「じゃ〜ん〜け〜ん〜で、ほ〜い」などと間延びした掛け声でじゃんけんをしていた。でも、今では早いテンションで「さいしょはグー」なのだ。この子たちが大人になったとき、きっと次の子供たちにも「さいしょはグー」を伝えていくだろう。でも、なぜ最初にグーを出すかは伝わらない。そもそも意味がないのだから伝わりようがない。百年後には、誰一人としてその意味を理解せずに、「さいしょはグー」と言っているだろう。 でも、いつかは疑問を持つ人が現れるに決まっている。そうして、前々世紀に流行った「ドリフターズ」の資料が発見され、「さいしょはグー」の歴史があらわになる瞬間が訪れるのだ。誰もが驚愕する新事実というやつだ。そのくだらなさに、アイデンティティの崩壊を起こす人もいたりして。かわいそうに。 もしかしたら、22世紀には「8時だョ!全員集合」の一大ブームが訪れちゃうかもしれない。「ひげダンス」とか「ちょっとダケよ」などが22世紀に流行るかと思うと、ワクワクして堪らなくなってしまう。 2010.1.27 今日は駅伝で車での移動が難しくなりそうなので、広電で広島市内へ出た。その途中、楽々園周辺が賑わっていたので、少しぶらぶらしてみる。すると、宮島街道沿いに県人会を発見。そこから流れてくる人々が何やら美味しそうなものにかぶりつきながら歩いている。その正体を確かめるべく、私も県人会へと向かうと、揚げもみじを売っていた。なんだぁ。でも、その他に北海道、宮崎、大分の県人会も出店が出ていたので、キジ鍋と鳥天を購入。体が温まる。 そのまま駅伝の応援をしようかと思ってたら、一時間待ちと言われたので、サクッと諦めて市内へと向かう。途中、西広島あたりでランナーと遭遇。あっという間に走り去っていった。早いなぁ。その後、広島市内で買い物しながら、Twitterのタイムラインを見ていると、スゴイ勢いで駅伝の実況中継が流れていた。ありがたく、実況を楽しみながら買い物。3時頃、アンデルセンで買い物をして外を出たところで号砲が鳴った。もう宮島まで往復してゴールなんだ。やっぱり早いなぁ。 そういえば、駅伝のポスターがあちこちに貼ってあったのだけれど、「天皇盃」の文字が入っていた。以前はそんな冠付いてなかったと思う。今年から付いたのかな。でも「ひろしま男子駅伝」ではなく「全国男子駅伝」と大きく表記されていた。格が付いたせいで、通称が使えなくなったのかな。なんだか、広島の駅伝を取られてしまったようで、複雑な気分。 2010.1.24 五ログの更新を毎日つづける。そんな無謀なことに挑戦してみます。いつの日か、私に子供が出来て、その子が成長する。そうして、今の私と同じ年齢になったとき、ここを読むコトがあるかもしれない。父親が自分と同じ年齢だったとき、何を考えていたかを知ることができる。そういう新しいコミュニケーションのあり方を教わった。そういうのっていいよね。 って、これまでバカバカしいことばかり書いていたような気がするな。きっと、これからもバカバカしいに決まってる。先に謝っておきます。変な父親でゴメン。 2010.1.22 常々不思議に思っていたのですけど、ベルトというものは、数日間使わないと、なぜ縮んでしまうのでしょうか。今朝も数日ぶりにベルトを締めたのですが、いつもの穴にちょっと届きません。ギュッと強く締めて、やっと届くのです。 やはり、ベルトは使っていないと縮んでしまうのです。間違いありません。もしかしたら、普段使っているときは、汗などの水分を吸って膨らんでいるのかもしれません。もしくは、締めるときに手の脂が移り、それが程よい保湿効果を生んでいるのかもしれません。 いや、数日間放っておかれていて、ベルトがすねてしまった可能性も否定できません。ひとり孤独にハンガーから吊り下げられている間、当の私は毎日食っちゃ寝を繰り返して、一向にベルトのことに気を遣おうとしません。そんな孤独からくるストレスでやせ細ってしまったのかもしれません。 試しに、次回の大型連休は、ちょっとはベルトのことに気を遣うようにしてあげましょう。 2009.8.17 夏も本格化してきて、スーパーにスイカが並ぶようになってきました。スイカと言えばスイカ割りです。海水浴のイベントの定番です。子供の頃は、目隠しして、その場で何回かまわってから、スイカ割りをしてました。そのままスタスタと歩いて行って一発でスイカを割ったときの喝采はよく覚えてます。その時のスイカは、美味しかったのだけれど、砂が混じっていて食べにくくなっていました。 まぁ、そんなコトはどうでもよいのです。重要なのは捻れです。例えば、スイカ割りで目を回すために左回りを20回したとすると、得体の知れない何かが捻れたままのようで気持ちが悪いのです。なので、後でこっそり右回りを20回しておくのです。これを怠ると一生捻れたままで過ごさなければなりません。それはとっても重要なことだったのです。 でも、補正の逆回りを必ず行えるとは限りません。例えば、運動会の練習などで「左向け左」とか「回れ右」などを繰り返されると、最後にどちらに捻れたままになっているのか分からなくなってしまいます。そう、あの日の運動会の練習以来、私は捻れたままになっているのです。なんとも気持ち悪いことですが、今更どうしようもありません。 そうやって、いつの頃からか、捻れを補正しなくなってしまいました。今、私はどちらに捻れているのでしょうか。何となく左に捻れているような気がします。でも、右回りを何回すれば元に戻るのでしょうか。たぶん、千回でも足りそうにありません。やっぱり諦めましょう。 2009.6.25 子供の頃、新しい靴を買って貰うと、もうワクワクしてワクワクしてどうしようもありませんでした。買って貰ったその日の晩、靴を箱から出して、翌日の準備をします。もちろん、ヒモのあるタイプなら、寝る前にヒモを通します。何度も通し直したりして、その度にワクワクします。 そうして、準備ができたら、枕元に靴を置いて寝ます。翌朝は起きるやいなやその靴を履いて、朝の準備をするのです。そう、まだ未使用の靴は家の中で履いても、床を汚すことはありません。母親もそれくらいは容認してくれてました。 そうして、靴を履いたまま玄関に立ち、そのまま外へ出かけるのです。この瞬間がたまらなく好きでした。でも、私ももう良い大人。そんな思い出は懐かしいですけれど、もうガキみたいな真似ができるわけがありません。 と、言いつつ、先ほどまで新しい靴に、ワクワクしながらヒモを通してました。しかも、枕元に靴を置いてます。いや、部屋の中では履きませんよ。履くわけないじゃないですか。 2009.4.21 疲れているときは、無理にでも湯船につかるようにしています。どんなに夜遅くなっても、いや、遅くなれば遅くなるほど、湯船につかることを優先してしまいます。湯船につかると疲れが酷くなるという人もいるけれど、私の場合は疲れが浮き出てくるような感じになるのです。スチームモップが頑固な汚れを浮かして拭き取るように、体の奥底に隠れていた疲れも浮き出させてから眠れば良いのです。 これが夏場になると、わざわざ湯船で隠れていた疲れを浮き出さなくても、初めから浮き出ててくれてます。きっと、疲れというヤツは寒がりなのでしょうね。冬場の冷たい空気の中では、寒さから逃れるように体の奥底に逃げ込んでしまうのでしょう。あぁ、早く暖かくならないかな。 2009.3.31 ピッタマリオ辺りを通りかかったら、工事中だった橋が開通式を行っていた。名前を見ると、八幡橋とある。そうか、この橋は八幡橋って名前だったんだ。確か、あの6.29の豪雨で壊れたんだったよね。そういえば、あの豪雨って何年前だったんだろう。と調べてみると、どうやら1999年みたい。うわ10年前だよ。こりゃ、あの豪雨のこと知らない人もいるかも。ちなみに、Wikipediaにも載っていた。「6.29豪雨災害」 ともかく、1999年6月29日の豪雨で壊れてしまった八幡橋。あれから、10年もかかってやっとの復旧。これで鈴が峰方面にも行きやすくなる。せっかくだし活用しなくちゃね。鈴が峯の、あの店やあの店にも行ってみよう。かなり楽しみ。でも、6.29のことを思い出すと、ちょっと気が滅入る。あれは酷かったよなぁ。 2009.3.27 年度初め、年の初め、年初。どれにも「初」が使われてます。今までとは違う、新しい年の初めという意味ですね。この新たな年はどんな年になるのかと、ワクワクとした期待感が込められてます。でも、不思議なことに年始という言葉には、「始」が使われてます。繰り返し何度もやってきた、いつもの年の始めという意味になってます。なんだか、うんざり感が込められているようで、イヤな感じですよね。やっぱり、この4月では、年度始めなんかじゃなく、ちゃんと年度初めをむかえたいものです。 2009.3.26 お風呂では、まず最初に頭から全体をお湯で流してから、体を洗って、その次に頭を洗います。それが私のやり方です。でも、たまに間違えて、頭を先に洗ってしまうことがあります。そんなときは、慌てずに引き続き体を洗うのですが、その後、いつもの癖で頭を洗おうとしてしまうことがあります。 もちろん、途中で気がつきはするのですが、最近はそこで悩むことが多くなってしまいました。本当に頭を洗ったのかどうか記憶が疑わしくなっちゃうのです。なんだか、昨日も先に頭を洗ったような気がするな。いくら私が間抜けでも二日連続で間違うことはないはず。あれ、本当に昨日も先に頭だったっけ。間違ったのは今日だけだったような気もするな。 もう、大混乱です。分からないなら、とりあえず頭を洗っておけばよいのですが、無意味に二度洗いをするのも頭皮に良くないような気もします。なので順番を間違えた日は、ここに記しておけば一目瞭然。前日も間違えたどうか、調べれば一発で分かるのです。そういうわけで、今日は順番を間違えました。明日は間違えませんように。 2009.3.14 例えば、挽き割り納豆にビッグライトを当てて巨大化させると、挽き割りにした意味が無くなるほどに大きくなるはずです。ということは、饅頭をたくさん食べようと、キメの細かいこし餡の饅頭にビッグライトを当てると、大きくなる代わりに、キメの粗いこし餡になっちゃうと言う事ですよね。下手したら、粒餡になっちゃうかもしれません。せっかく、丁寧に練り潰したこし餡が台無しです。ビッグライト、全然使えねえじゃん。やっぱり、バイバインを使った方が良いですね。でもアレって、食べた栗饅頭がお腹の中で倍々に増えないのかな、不思議だな。 2009.3.13 職場の引っ越しを機会に、占有を減らす努力をしてみる。ハード的にもソフト的にも。結果、デスク回りの雑多な物が半分以上減った。いままで、いかに無駄に占有していたかがよく分かる。まだまだ減らせるはず。もっともっと共有していこう。手の伸びる範囲に安易に物を置かない心地よさもあるんだな。 難しいのはソフトの方。こちらはほとんど効果なし。まぁ、引っ越しのメインはハードなので、ソフトに劇的な効果があるわけがない。でも、良い機会なので、ソフトの占有も無くしていく努力をしていこう。こういう努力は意外と楽しいことに気がつきつつある。でも、こういうのって自分でやるのは良いけど、他人に強要すると反発を喰らっちゃいそう。 2009.3.3 車に乗って発進させようとアクセルを踏んだけど、なぜか空回りで動こうとしない。何度踏み込んでも動かない。あまり踏み込みすぎて急発進するのも怖いけれど、ちょっと深めに踏み込んでみる。でも、やっぱり動かない。怖くなってアクセルから足を離したのだけれど、なぜかエンジンはそのまま回り続けている。こりゃいよいよ壊れたなと思っていると、運転席のシートが急激に膨らみ始めた。まるで焼き餅のようにプクーと膨らんで、最後にパチンとはじけて破けて、破けたところから蒸気なのかガスなのか、怪しげな気体がシューとわき出ている。 ここまで来ると、命のキケンを感じたので、とっさに車から出て、そのまま安全な距離まで逃げる。そうして、ホッとして後ろを振り返ってみると、車のリアに他の車がへしゃげて突き刺さっていた。黄色い軽自動車。その光景にショックを受けつつ、これは廃車かなと諦めたものの、状態を確認するためにもう一度車に近づいてみる。すると、愛車はブラックホール化していて、掃除機のように周りのあらゆるモノを車内に吸い込んでいる。これは引き込まれたら命がないなと思ったところで目が覚めた。 この夢はいったい何を暗示していたのでしょうか。とりあえず、怖かったので、今日一日は必要以上に安全運転。夕方はとっとと家に帰って、すぐさまビールを飲んで、車との関係を断ち切ってみる。これでもう大丈夫かな。 2009.2.20 今年のバレンタインでは、男性から女性に渡す逆チョコを流行らせようとしているみたいですね。私は逆チョコなんて買わないのですが、職場では男性から男性に渡す逆チョコが見受けられました。なんとも不思議な光景です。でも、それを逆チョコと呼ぶのはちょっと変ですね。男性から男性に渡すチョコをなんと呼べばよいのでしょうか。 通常のバレンタインでは女性が渡し、男性が貰います。男性が渡し、男性が貰う場合は、半分だけ逆です。ということは、やっぱり半逆チョコと呼ぶべきなのでしょうか。これは反逆とも聞こえますね。なにやら、世間にそむいて逆らっている感じが出てていいですよね。来年から流行ったりして。 2009.2.13 遅い時間に起き出すと、そこは暖かく日が照った休日だった。今日こそは車を洗おうと、とりあえず昼飯と買い物をすます。そうして帰宅中になんと雨。これは私に対する試練なのでしょうか。もし、本気で車を洗いたいのであれば、少々の雨など気にせず、ちょっと雨が止んだ隙を狙って洗車をすべき。それをしないのであれば、本心では洗車をしたくないと思っている証拠。洗車なんてしたくないけれど、車が汚すぎて人から後ろ指を指されかねないし、その意思表示ぐらいはしとかなきゃという魂胆が見え見え。そんな人間だと思われたくなければ、雨の隙をぬって洗車すべきなのだ。 そんなワケで、今日は洗車を回避。わたしはそんな人間なのです。昨日は寝るのが遅かったしね。などと言い訳もしちゃう。そうして、テキトーにサイトの更新をしつつ、未読の本なども読み進め、停滞していたゲームも進めてみたりする。でも、そのすべてが中途半端に終わって、休日もあっというまに終わりに近づいていく。そういえば、夕方頃は雨もすっかり上がっていたな。やっぱり洗車すれば良かったかも。今度の日曜日こそ洗車をしよう。といいつつ、我ながら当てにはならないことはよく分かっている。 2009.2.11 子供の頃に観たテレビ。確か宇宙刑事ものか何かだったかな。最強の怪人が出てくる話で、その怪人は不死身のシャワーを浴びて戦いに挑んできた。秘密基地かどこかで、そのシャワーを浴びるとき、ペットのカラスも一緒に不死身にしてやろうと、肩にカラスを乗せてシャワーを浴びた。 そうして、ヒーローとの戦い。不死身なので、どんなに攻撃を受けても全く効かない。もちろん、カラスもダメージを受けない。それどころか、たった一撃でヒーロー側に強烈なダメージを与える。そんな最強の怪人。ふとした気まぐれで、怪人の肩から飛び去ったカラス。その足跡は、不死身のシャワーを浴びていない唯一のウィークポイント。そこをヒーローに狙われて、あえなく怪人は敗れ去った。 そんなカラスの足ほどの小さなウィークポイントで敗れるなんて、もともとが弱すぎる怪人だったのだけれど、そんなコトはこの際関係ない。関係するのはファブリーズ。 焼き肉を食べて、あまりに自分が焼肉臭くなったので、ファブリーズのシャワーを浴びてみたのだけれど、どこかにカラスの足ほどの漏れがあるようで、ほのかに焼肉臭い。またファブリーズしてみるのだけれど、やっぱりどこかにカラスの足跡が残っている。どうやら、私も怪人同様、敗れ去る運命にあるようです。何に敗れ去るのかは全くの不明ですけど。 2009.1.19 「1/2.5」。算数ドリルの世界です。こんな計算が出来たとして、社会に出てなんの役に立つのでしょうか。まったく意味不明です。でも先日、驚くべきコトに、ちゃんと役に立ったのです。とあるデジカメのスペックに「1/2.5インチの800万画素CCD」などとの表記がある。早速、昔を思い出しながら計算してみた。 1/2.5 = 10/25 = 2/5 = 0.4 ふ〜ん、0.4インチなんだ。1インチ = 約2.54センチなので、 0.4 * 2.54 = 1.016 つまり、1/2.5インチ = 約1センチ。なんだよ、最初から1センチCCDと書いてくれよ。無理に算数ドリルの経験を思い出させなくても良いじゃないか。それとも、これは算数ドリルを正当化させようとする、日本演習問題出版協会の陰謀かな。 2008.12.17 奥歯に物が挟まってしまいました。ツマヨウジでも取れない強情なヤツです。仕方ないので放っておいたのですが、気になって仕方がありません。帰宅して、歯を磨いて、やっと取ることができました。ところで、今日の私は、やっぱり奥歯に物が挟まったような話し方だったのでしょうか。本人は気がつかなかったのですが、きっと間違いありません。なんともハッキリのしない喋り方をしていたはずです。そう言えば、仕事の会話もちぐはぐでしたし、電話の会話も要領を得なかったような気がします。やっぱり、毎食後歯磨きをする習慣をつけたほうが身の為なのでしょうか。 2008.3.21 トイレットペーパーの交換に失敗する確率は、一般に50%と言われております。いや、交換前にちゃんと確認すれば、100%成功するのは分かっております。私の場合、いつも確認を怠るので、トイレットペーパーを取り付けた後、それが逆さまになっていることが多々あります。ペーパーの端がぶらりんとだらしなく下方に垂れ下がっているのです。ちぎりにくいのです。なので、いつも付け直しをするハメになります。不思議なことに、私の場合、10回に8ぐらいの確率で失敗してしまいます。いや、ちゃんと数えたわけではありません。感覚的にそれぐらい多いのです。それにしても、本来は50%のハズが、80%という驚異的な数値が出ております。なんででしょうかねぇ。 2008.2.21 靴下というのは、穴が空くとみすぼらしいです。靴を脱いで上がる座敷などで、ふと自分の足を見ると、カカトがすり切れて肌が丸出しだと、もうどうして良いのか分からなくなります。そのカカトを他人に見られないように、無理な体勢で座ったり、挙動不審げに立ち上がったりしてしまうのです。今日はずっと靴を履いていようと、夜メシに誘われてもあがり席の店には行かないぞと堅く心に誓いながら、一日を過ごしてゆくのです。そうして、やっとのコトで家に帰ったものの、ついうっかりその靴下をごみ箱ではなく洗濯機に入れてしまい、カカトの事などはすっかり忘れて、一日の疲れを癒して眠りにつき、数日後、同じ靴下を穿いてしまい、あぁ、まただよと後悔をするのです。この循環がすでに5回ほど続いてます。あの靴下は、いま、タンスのどこかで眠っているはずです。そろそろ当たりそうな予感がします。 2007.10.24 パンツのゴムというのは、緩むと大変です。ベルトを締めたスラックス。それ自体はとっても安定しているのに、その中でずりずりと不安定に下がって行く感覚は他に例えようもないほどもどかしい物です。でも、どんなに落ちていっても、最後までストンと落ちる事はありません。その落ちてきたところをスラックスの上から無理矢理摘んで上げるのも難しいですし、第一そんなの格好悪くて、人前ではできません。トイレに行った際に直しても良いのですが、本来の用途以外で個室にはいるのも、あらぬ誤解を招きそうな気もします。こんなパンツは家に帰ったら即刻ごみ箱行きだと、もうお前とはお別れなんだと、用済みなんだと、そんな思いと共に一日を過ごしてゆくしかないのです。そうして、やっとのコトで家に帰ったものの、ついうっかりそのパンツをごみ箱ではなく洗濯機に入れてしまい、ゴムの事などはすっかり忘れて、一日の疲れを癒して眠りにつき、数日後、同じパンツを穿いてしまい、あぁ、まただよと後悔をするのです。この循環がすでに3回ほど続いてます。あのパンツは、いま、タンスのどこかで眠っているはずです。明日ぐらいに当たりそうな予感がします。 2007.10.22 人類の歴史上、家庭用冷蔵庫にメガネを置き忘れた人は何人いるのでしょうか。私はメガネをかけることがないので、冷蔵庫にメガネを置き忘れる事などはあり得ないのですが、もしかしたら、案外よくある事なのかも知れません。でも、どの様なときに冷蔵庫にメガネなのでしょうか。やはり、あまりに暑すぎて目元だけでも冷やしたいと渇望したとき、思わず冷蔵庫にメガネを入れてしまうのでしょうか。いや、もしかしたら、レンズの劣化には冷却が効果的なのかも知れません。いやいや、メガネが自ら涼しい冷蔵庫の中へと入っていった可能性も捨てきれません。メガネが勝手に冷蔵庫の扉を開けて中に入ってゆく光景は、一度見てみたいものですね。ともかく、冷蔵庫を開けると、そこにメガネが鎮座している姿はとってもシュールなのです。思わず、いろんな想像を巡らしちゃうほどにね。 2007.10.2 味村さんには申し訳ないのですが、どうしても「味付」と見間違えてしまいます。例えば、ドライブ最中に「味村内科」の看板を目にすると、「味付内科」などとワケノワカラナイ看板と勘違いしてしまうのです。更に申し訳ないのは、味村たまこサンで、当然の如く「味付玉子」と勘違いしてしまうことでしょう。幸いにも、まだ味村たまこサンと巡り会っていないので、そんな無礼をはたらいた事はないのですが、いつの日か味村たまこサンと出会う日が楽しみだったりもします。 2007.4.22 日本がどんどん近代化してゆくとともに、多大な迷惑を被ったのは、明らかに鬼でしょう。昔の人たちは、そんなに来年の話をすることなど無かったでしょう。でも、現代の人たちは、来年どころか数年先の話をしております。子供達は来年の受験のために必至に勉強をし、職場では中期計画と称して5年先の計画を立てたりしております。 鬼達は、その度に大笑いを繰り返し、笑いすぎで息を切らして、ヒーヒーと涙を浮かべながら、勘弁してくれと言っていることでしょう。鬼達に申し訳ないので、あまり先のことを考えるのは止めておきましょうね。などと言いつつ、今、終身保険のプランニングをしております。きっと大笑いでしょうね。 2006.11.17 ある子犬の飼い主が、子犬を庭で遊ばせるとき、遠くに行ってしまわないようにラジカセに長い紐でくくりつけて遊ばしていた。小さな子犬は、重いラジカセを動かすことが出来ず、飼い主の思惑通り、その範囲で遊んでいた。やがて、その犬が大きくなって、ラジカセぐらい簡単に引きずることができるようになっても、子犬の頃の思いこみから、ラジカセから紐が届く範囲でしか遊ばないでいる。そんな話を昔どこかで読んだことを、昨晩、床の中でふと思い出した。昨日の日記と奇妙な共通点を認識しつつ、自分もその犬と同レベルだと思うとなんだか悲しくなってきた。 2006.11.9 いつものことですが、シャワーを浴びるとき、蛇口とシャワーの切替コックで間違ってしまいます。コックを右に回せばシャワーになるのか、それとも左に回すべきなのか、いつも間違ってしまいます。何度繰り返しても、右なのか左なのかを覚えられないのです。よくよく見れば、そのコック自体にどっちが正解なのか書いてあるのですが、そんなのは見ずに当てずっぽうに捻って、いつも間違えてしまいます。それと同様に、窓の鍵の開閉ロックの上下も間違ってしまいます。こちらもちゃんと見てみれば、書いてあるのですが、やっぱり見ずに試してしまうのです。これは、幼い頃、その書き込んである説明を見ても分からないから、とりあえずテキトーに試していたなごりだと思われます。三つ子の魂百までとは、このことなのでしょうか。 2006.11.8 お尻がかゆくて、かゆくて、かゆくて仕方がありません。どうやら、パジャマの足下からお尻まで入り込んだ蚊が、ご馳走食べ放題とばかりに喰いまくった模様です。試しに鏡を見てみると、お尻が真っ赤っかで腫れ放題になってます。ノーパンツ健康法に、意外な落とし穴が待ってました。夏場はパンツを穿いて寝た方がよいかもしれません。 2006.7.16 昨日の朝、目が覚めた瞬間に朝日が目に入って、今日はよい天気だなと思いつつ、梅雨も当分中休みが続きそうだと判断して、布団を干そうと思い立ったのですが、その後、起き抜けのシャワーを浴びているうちに、そんなことは、どこか遠くへと逃げ去ってしまい、そのままノホホンとした日曜日を過ごしてしまいました。そうして、今朝、目が覚めた瞬間に朝日が目に入って、今日はよい天気だなと思いつつ、すっかり布団を干すのを忘れていたことを思い出した次第です。バカなものだと、忘れっぽいにも程があると、自らの迂闊さを責めているうちに、全てを忘れてしまい、結局、今日も布団を干してません。果たして、明日は、布団を干すことを覚えていられるのでしょうか。きっと、奇跡が叶い、覚えていられたとしたなら、午後から雨が降るのでしょうね。 2006.6.12 ゼブラレスZ。朝の目覚め共に、そんな言葉が私の頭の中に残っていました。ゼブラレスZ。いったい何なのでしょうか。夢で、何かしらの物語が進行していたような気がするのですが、それは目覚めと共に忘れてしまいました。ただ、ゼブラレスZだけが私の頭の中に置き去りにされてしまったのです。ゼブラレスZ。それは一体どんな夢だったのでしょうか。私のちっぽけな空想力では、その正体を暴くことは出来そうにありません。ゼブラレスZ。あぁ、気になって、気になって、今晩は眠れないかもしれません。 2006.4.8 このごろは、私も少しは成長したようで、あまりバカなことをしなくなりました。その証拠に、一年に一回ぐらいは風邪をひきます。以前は5年に一回ひけば多い方だったのが、一年に一回まで増えたのです。計算上、5倍ほど賢くなったことになります。5倍賢くなったら、いったいどんなことが出来るようになるのでしょうか。例えば、2日前に食べた物を覚えていたのが、10日前まで覚えていられるようになります。例えば、円周率を3.14まで暗記できていたのが、3.14159265358979まで暗記できるようになります。例えば、二桁の足し算に10秒かかっていたのが、2秒まで短縮されます。……5倍ぐらいでは大したことなさそうですね。早く一年に365回ぐらいは風邪をひけるようになって、あと365倍賢くならなければなりません。 2006.1.10 スタッドレスタイヤの効力は、雪道を走れることではありません。あまり知られてないことですが、スタッドレスタイヤには、お守りの効果があるのです。例えば、大雪が続いたある年の瀬。たまりかねて、スタッドレスタイヤを購入したとしましょう。すると、その後、ピタリと雪が降らなくなります。スタッドレスタイヤは雪よけのお守りなのです。雪道を走るための道具ではないのです。決して、スタッドレスタイヤを購入したことに意味がなかったわけではないのです。そう、意味がないわけではないのです…… 2006.1.4 また、お風呂場に妖怪が現れる季節がやってきました。この妖怪は厄介で、いつも私の時間を盗んでいきます。先日も30分ぐらい入浴していたはずなのに、いつの間にか1時間30分が経過してました。なんと、1時間も盗まれてしまったのです。きっと、湯船の中でウトウトとした隙に、その妖怪はこっそり現れて、私の時間を盗んだのでしょうね。ホント、油断も隙もあったものではありません。 2005.12.14 どうにも忘れがちなのが、エレベーターのボタンです。折角、エレベーターの乗り口まで行きながら、上下のボタンを押さずにボケーとしてしまうことがあります。更に、エレベーターに乗った後も、階の指定をせずにボケーとしてしまうこともあります。運が悪いと、エレベータの前でいつまでもエレベータの到着を待っていたり、トンデモナイ階まで連れて行かれたりします。でも、運が良いと、偶然私の待つ階へとエレベータが到着してきたり、偶然私の赴きたい階へとエレベーターが呼ばれていきます。そんな運の良い偶然があった日は、なんとなく良いことがありそうな予感がします。さしずめ、エレベーター占いとでも申しましょうか。ちなみに、本日も私の思いとは裏腹に、エレベーター占いを占ってしまったのですが、結果はあまり良くありませんでした。 2005.11.30 毒を喰らうときは、皿までもを平らげなければならないことは、古来より伝わる習わしごととして、現代においても万人の知るところです。これを逆から考えてみると、皿を喰らうことの出来ない者は、毒を喰らってはならないのです。例えば、奇人変人大賞などで、陶器の皿をバリボリと食べる方々などは、毒を喰らう資格を持っているのです。私のような皿に歯が立たない凡人は、毒を喰らう権利など与えられるワケがないのです。毒を喰らわば皿まで。それは、選ばれた人たちだけに許された、栄誉だったのです。毒を喰らいたければ、皿を喰う練習をするしかないのです。 2005.11.14 最近、空鼻が酷いです。絶対に漂っているはずのない匂いを感じてしまいます。例えば、職場で、ふとシュークリームの匂いが漂っているのです。サクサクの生地の芳ばしい香りと、カスタードクリームの甘い匂いが、明らかに感じられます。それは、誰かがシュークリームを買ってきたのかと勘違いしてしまうほどです。今日のおやつはシュークリームなのかと、胃袋が臨戦態勢に突入してしまうのですが、もちろんシュークリームはどこにもありません。ここ三日ほど、同じ空鼻が続いてます。一昨日は深夜のベットの上で香りました。昨日は閉め切った車の中で香りました。明日も香るようでしたら、耳鼻科に行った方がよいかもしれません。明後日も香っているようでしたら、精神科に行った方がよいかもしれません。 2005.10.11 私の目薬滴下成功率は5割を切っております。私の眼球は二つありますので、計算上、どちらかで必ず失敗することになります。もちろん、両方とも失敗することもあります。片眼で失敗を繰り返すことだってあります。なので、偶然、両眼とも一発で成功したときの喜びは凄まじいものになります。それはもう、諸手挙げて大喜びです。大はしゃぎです。周りの人たちに、成功したんだよとふれ回って、この喜びを分かち合いたい気分になります。感極まって、大粒の涙を落としかねない勢いです。でも、それだと目薬も一緒に落ちちゃいますね。どうやら、一発で成功しない方が良さそうな気がしてきました。 2005.10.1 結婚式のご祝儀は、参加後が良いのではないかという提案を受けました。そうですね、参加後が良いですよね。そうに決まっております。結婚式のご祝儀は、参加後であるのが普通なのです。参加後以外のご祝儀だと、少なすぎたり、多すぎたりと、何かと厄介です。特に、2や4は縁起が悪いとされておりますし、1だと少なすぎます。6以上だと、懐がひどく痛みます。そう、結婚式のご祝儀は、自分の身の丈を考えて、参加後にしておくのが無難なのです。あくまでも、参加後です。 2005.9.21 人間、あまりに甘いものを食べると、言葉を失います。薄笑いさえ浮かべてしまいます。目の前が真っ白になったような錯覚を覚え、茫然自失になります。そして、それが過ぎ去ると、何もなかったコトにしようと取り繕おうとします。事実、何が起こったのか、良く分かりません。ましてや、奥歯の奥底に、僅かなうずきを感じたような気がするのは気のせいなのです。 2005.9.12 子供の頃、舞踏会と言えば、仮面を被って参加するものだと信じ切っておりました。女性はカクテルドレスにドロンジョ様のような仮面を、男性は同様の仮面を被ることもあれば、犬神家の一族に出てくる犬神佐清のマスク、はたまた怪人二十面相の様な仮面、など色とりどりの仮面を被るのです。そうやって仮面同士でダンスを行い、夜は更け、やがて物語は凄惨な殺人事件へと展開していくのです。それは首相官邸で行われようが、街のダンス教室で行われようが、カラオケボックスで行われようが、同様の筋道を辿ることになるのです。幼き私は、舞踏会はそういうものだと理解し、大人になっても舞踏会だけには参加しないぞと心に誓っていたものです。未だに、舞踏会に誘う招待状が届いた試しはありませんけどね。 2005.4.20 子供の頃からずっと謎なのですが、月光仮面は誰なのでしょうか。ウルトラマンや、仮面ライダーの場合、視聴者はその正体を知っております。テレビの前で、「ハヤタ隊員、早く変身して!」などとヤキモキしていたものです。一方、月光仮面は、あまりに昔過ぎて、その放映を観たことがありません。ただ、有名な主題歌の歌詞が頭の中でリフレインするだけです。月光仮面は、ウルトラマンや仮面ライダーのように、視聴者がその正体を知っていたのでしょうか。それとも、歌詞の通り、全くの正体不明だったのでしょうか。気になって、気になって、今晩は酒量が増えそうな予感です。 2005.2.24 免許の更新の手続きをしていて気がついたのですが、私が本籍をおいている自治体が昨年合併していました。その際に、合併するとの事前通知はありませんでした。もちろん、合併後の新名称に関して意見の収集や、賛否の投票の話もありません。でも、それよりもなによりも、私はその本籍の住所がどのように変更されたのか、全く知りません。もちろん、自治体からの通知もありません。これは、自治体に対して確認をしない私が悪いのでしょうか。それとも通知をしない自治体が悪いのでしょうか。免許更新の際、免許センターの人の態度をみていると、どうやら私が悪いような感じです。なんだか、合併に反対しておきたかった気分にさせられます。 2005.2.23 どうにもマスターできない技があります。トイレにて、トイレットペーパーを勢いよく巻き取るコトが出来ません。勢いが良いだけではいけません。カランカランと乾いた音が響くことが必須になります。カランカランと気持ちよく響きわたらなければいけないのです。この音を出す技が、どうしてもマスターできません。下手に巻き取って、たるんだトイレットペーパーが床に着いてしまったり、和式便器の上で体勢を崩しそうになったりと、情けない結果を繰り返してます。そんなとき、隣の個室から、カランカランと良い音が聞こえてくると、軽い嫉妬心を感じてしまいます。タマに、トイレの外まで良い音を響きわたらせる達人もいますが、弟子入り志願をすると、変人扱いされそうなので、その技を伝授して貰うことが出来ません。そう、これは孤独な戦いなのです。自らの手で、奥義を編み出すしかないのです。ちなみに、床に着いてしまったトイレットペーパーは使わずに流してしまいます。勿体ないですね。 2005.2.3 昨晩、床についてウトウトしていると、どこからともなくチャイムが聞こえてきました。キーンコーンカーンコーン、とのんびりした音色が、遠くの方で鳴り響いております。時計を見ると、ちょうど夜中の0時。何故こんな時間にチャイムが鳴るのでしょうか。もしかしたら、タイマーが狂って、お昼のチャイムが夜中に鳴ってしまったのかも知れません。そう思い始めると、なんだか、お腹が減ってきました。小中高と12年間つちかわれてきた条件反射です。お昼のチャイムが鳴ると給食の時間なのです。パブロフの犬です。そんなワケで、夜中の台所に侵入して食べ物を物色したのですが、残念ながらめぼしい物がなかったので、再び床につくことにしました。もし、めぼしい物を見つけてしまったら、真夜中にランチを楽しんでいたことでしょう。危ないところでした。 2005.2.1 たばこ屋さんの前を横切ると、無性にタバスコが欲しくなります。タバスコをタップリふりかけたアメリカンピザをまぶたの裏に思い浮かべて、よだれを垂らしてしまうのです。ツーンとした酸っぱい香りと、強烈な辛味。それが恋しくて仕方が無くなってしまうのです。それは、原因不明の禁断症状でした。でも、本日、その禁断症状の原因がついに判明したのです。 TABACCO。TABASCO。非常に紛らわしいですね。「C」か「S」の些細な違いなのですが、それが大きな差を生んでいます。しかも、たばこ屋さんに掲げられた「TABACCO」の文字は、タバスコの瓶に印刷された「TABASCO」の文字フォントと非常に似通っているのです。このままでは、私はたばこ屋さんの前を通るたびに、タバスコ禁断症状に悩まされることになるでしょう。全国のたばこ屋さんは、このような禁断症状に配慮して、是非ともタバスコを店頭に置くことをお勧めいたします。ついでにピザやパスタもあると助かります。 2005.1.31 酔っぱらいは、酔っぱらいです。酔っぱらい以外の何者でもありません。もし、酔っぱらいが酔っぱらいでなくなってしまったら、どうなってしまうのでしょうか。 例えば、酔っぱらって、時価3000円ぐらいの寿司の盛り合わせ(並)をお土産に買って帰ることが無くなってしまいます。しかも、チョウチョ結びにした寿司箱のワッカを持って、フラフラと千鳥足でタクシーから降りてくることもなくなってしまうのです。更に、酔っぱらって隣の家の呼び鈴を鳴らしたり、電柱にただいまの挨拶をしたり、朝起きると公園の芝生の上で眠っていてた上に靴がブランコの上に綺麗に並べられていたなんてコトが起こらなくなっちゃうのです。 そうなのです。今現在、そのような酔っぱらいは絶滅の危機に瀕しているのです。でも、遅くはありません。今からでも、酔っぱらいを保護し、いつでもベタな酔っぱらいネタを披露できるよう環境を整えてあげるべきなのです。酔っぱらい保護法。是非とも、小泉総理には行政改革の前に、この保護法を成立して頂きたいところです。 2005.1.27 お風呂には妖怪が棲んでいます。その妖怪は、けして我々の前に姿を現しません。こっそりと、湯煙の向こうに隠れて、悪さをしているのです。つい長湯をしてしまって、30分ぐらい経ってしまったかな、と思いながらお風呂から上がると、30分どころか1時間以上も経っています。1時間ぐらい経ったかな、と思っていると2時間ちかくも経っていたりします。そう、その妖怪は、我々の気が付かないところで、こっそりと時間を盗んでいるのです。お風呂場では時間の経過が分かりにくいコトを利用して、実に巧みに盗んでいるのです。私など今日も30分ほど盗まれてしまいました。知らぬ間に、1時間半も経過していたのです。けして、湯船の中で居眠りしていたわけでは……ない……はず……です。……たぶん。 2005.1.24 今日は、朝から雪が降ってます。でも、雪は降りおりた地上で、その白さを輝かせることはなく、はかなく溶けてゆきます。どうやら、今日は降り積もることはなさそうな気配です。しかし、日が暮れてもこのまま降り続ければ、きっと、明日の朝には雪化粧が見られることでしょう。明日は早起きして、歩いて出勤しなければならないかもしれません。まぁ、そういう朝もタマにはよいですね。でも、裏に穴が空いてしまった靴を、修理もせず、そのまま放ってあるのを思い出しました。一転して、とっても鬱な雪の夜です。 2005.1.20 今日はイチゴの日です。1と5のゴロ合わせでイチゴなのだそうです。でも、今日は115です。1と5のゴロ合わせならば1月5日にすべきですが、こちらはイチゴ(世代)の日に制定されているので、あえて避けたのでしょう。全国いちご消費拡大協議会は、イチゴ世代に先を越されてさぞかし悔しかったでしょうね。そもそも、15歳をイチゴ世代と呼ぶのは初めて知りました。しかし、だからといって、1月15日は解せません。もしかしたら、良いイチゴと言いたいのかもしれませんが、それならば11月15日にすべきです。なぜ、今日がイチゴの日になるのか、気になって夜も眠れそうにありません。 2005.1.15 やっとの事で初夢を見ることが出来ました。本当は元日に見るべきなのでしょうけど、年が明けてから、夢は見なかったし、もし見ていたとしても内容を覚えてません。なので、先日の夢が初夢と言うことになります。その内容は…… ついに同盟軍の進撃が始まった。帝国軍(どうやらダースベーダーっぽい)は、民間の宇宙軍から2万隻の戦艦を借り受け、迎え撃つ。しかし、同盟軍の攻撃はついに、我が家までやってきた。先ほどから爆撃機が裏庭に爆弾を落としている。爆撃がある度に、ブレーカーが落ちるので、非常に迷惑だ。そんな中、父親が岩国までお米を貰いに行くと、出かける準備をしている。爆撃機に見つからないよう、変装して出かけるとのこと。ちょうどそこへ、近所のおばちゃんが爆撃のさなか、犬の散歩から帰ってきた。父親が犬の頭を撫でてやると、犬は激しく身もだえて後悔し始めた。何に後悔しているのかは、一切不明。その姿を見ながら、犬にも後悔という概念があるんだなと感心していたとき、不意に目が覚めた。いったい、今年はどんな年になるのでしょう。正月早々、さい先不安です。 2005.1.11 今日は、ご用始めです。あくまでも、御用です。公務に就く人々の仕事始めなのです。けして、誤用ではありません。もしも、誤用始めだと大変なことになってしまいます。全国一斉、津々浦々、みんなで誤用をしなくてはなりません。まんがいち、今日、誤用をし忘れると、今年いっぱいは、誤用をすることが出来なくなっちゃうのです。誤用始めに誤用をしなかった人は、その年は誤用をする資格がないのです。例えば、玉子かけご飯にソースを誤用したり、誤用してTバックで紅茶を淹れたりすることが出来なくなっちゃうのです。あくまでも、今日は御用始めなのです。それを間違うと、とんでもないことになるのです。気をつけましょう。 2005.1.4 寒いもので、うっかり車のトランクに置き忘れたビールが、丁度良い冷え具合です。冷えすぎず、温くもなく、泡立ちも最高です。まろやかで、ほろ苦く、甘みも感じます。やっぱり、ビールはこうでなくちゃいけませんね。おかげで、食欲もバッチリ。思わず食べ過ぎてしまいました。正月も3日目。年末から酷使してきた胃腸を、今日こそは休ませようと思っていたのに、とんだ災難です。 2005.1.3 昔はメールを受け取ることなど滅多になく、ついうっかりすると、半年以上もメールを受信していないこともざらではなかった。もちろん、毎日受信ボックスの確認はするのだけど、誰も私なんかにメールを送ってくれなかったのだ。しかし、最近は、そんな私も毎日沢山のメールを受信するようになった。それは、見も知らぬRichardさんからのメールだったり、最近旦那さんと上手くいってないらしい見知らぬ陽子さんからのメールだったり、見知らぬ日本債権調査機構からのメールだったりとナカナカ賑やかだ。そんなメールに囲まれていると、ついうっかり、私は誰からもメールを貰えない寂しい男だと言うことを忘れがちになってしまう。なので、最近は受信ボックスではなく、送信ボックスを眺めて、自分が如何に寂しい人間かをしみじみと味わってみたりする。ちなみに、一番最近の送信メールは昨日である。私の携帯宛てに飲食店の電話番号を送っていたりする。その前は、やはり自分の携帯宛てに仕事用のメモを送っている。その前も、更にその前も、更に更にその前も、携帯宛てのメールが並んでいる。そうやって、私は自身の身の程という物を実感し、一人でも前向きに生きてゆこうと心に誓うのである。 2005.1.2 月日が経つのは早いものですね。2000年を迎えて、ミレニアムだと大騒ぎしていたのが、つい5年前のことのように感じられます。特に、私は年とともに成長を重ねることが苦手でして、5年ぐらいでは大した変化はないようです。それでも10代の前半頃までは、曲がりなりにも成長を刻むことも出来ていたのですけど、最近は身体の大きさも、人間の大きさも、全然成長しておりません。このたびも、正月早々、ふとした気まぐれから日記を再開してみようと思い立ったのですが、どうせ三日続けば長い方でしょうね。 2005.1.1 |