閉店  ピット 

    喫茶店。席はテーブルのみで、4席×7、2席×1。店内は薄暗く、時代を感じさせる赤いテーブルに年季の入った椅子が並んでいる。店は年配の女性3人で切り盛りされている。

    客層のほとんどが近所の常連。いや、常連以外が訪れることなんて、皆無と言って良いほど。昼時は、その客の全員がおふくろランチを注文している。いや、他のメニューを注文出来るような雰囲気ではない。客によっては、他のメニューがあることを知らない可能性も高いし、自分が食べているメニューが「おふくろランチ」と命名されていることを認識している客も少なそう。

    ランチを始め、メニューは20年前から変わらないラインナップと値段とのこと。そのランチは、日替わりのおかずとご飯が盛られたワンプレートランチになっている。あと、みそ汁とフルーツが付いてくる。念のために書いておくと、フライライスは焼き飯、ピット定食は玉子丼になるらしい。

    広島市佐伯区海老園1-7-17
    082-921-1698
    開店時間:10:00-17:00
    定休日:土曜日、日曜日、祝日
    ※新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、開店時間や定休日が変更されている可能性があります。
    駐車場:あり(店の東隣)


    もう一言
    誰にだってそういう経験はあると思う。毎日のように通る道沿いにある建物。そこに建物があると言う事は認識していても、その建物が何であるのか気にした事もなく、ただいつもその前を通り過ぎるだけ。もし、ある日突然その建物が無くなって更地になってしまったとしても、そこに何があったのか全く思い出せない。

    私にとって、このピットがそれだった。いつも前を通っていたのに、そこに喫茶店があるという事に気がつかなかった。その存在に気がついたきっかけは、駐車場。ある日、ふと目をやった先に、見知らぬ名前を掲げた駐車場がある。その看板を見る限りは、喫茶店の駐車場である様子。でもその近くに喫茶店らしき建物はない。変だなと思ったけれど、特に気にする事もなく時が過ぎ、約1年後に偶然その駐車場の主を発見した。

    発見してみればなんてことはない。そこは確かに喫茶店。古く、相当な年季があるものの間違いなく喫茶店。何故今まで気がつかなかったのか不思議なほど、まさしく喫茶店。なんだか、その一角だけタイムスリップした様に感じるのは、私の先入観のせいなのだろうか。

    そんなワケで、私は恐る恐るピットへと入ってみる。もう、涙が出そうになるほど、如何にも数世代前の喫茶店と言った雰囲気。店内は薄暗く、古めかしいテーブルと椅子。当然のようにテレビが付けられ、客達はそのテレビを特に見る事もなく、雑誌や新聞を読んだり、世間話をしたりしている。客層は、年配のサラリーマンや近所のおばあさんが中心。その全員が常連さんであることは間違いない。

    席に着くと、直ぐにお店の方がやってきて、ランチでよいかと聞いてくる。どんな内容かを聞いてみると、今日はおでんとの事。そう言えば、店に入る前からおでんの匂いが漂っていた。それが今日のメニューだったんだな。ともかく、他のメニューを注文するのがはばかれる雰囲気だったので、それを注文してみた。

    でも、今日はおでんの煮込みが足りてないらしく、ちょっと待ってくださいとの事。それならば仕方がないので、テレビを見たり、雑誌を漁ったり、トイレに行ってたりしていると、メニュー表を発見。ヒマなので、それをくまなく見ていると、私が注文したのは「おふくろランチ」である様子。その値段は500円。ビックリするほどの破格。500円の日替わりランチなんて、五日市最安値と言っても良いのではないだろうか。

    しばらくして登場したランチは、いわゆるワンプレートランチ。平皿にご飯が盛られて、それに寄り添うように厚揚げ、丸天、ちくわ、ゴボウ天、玉子、肉、大根。それにレタスとトマトがチョロリンと添えられている。後はみそ汁とリンゴ。おでんという時点で、どんなランチが出てくるのか色々想像したけれど、まさかこう来るとは想像できなかった。おでんの汁が軽くご飯に染みている。

    それを見て、ふと昔の事を思い出した。あれは小学校の時、土曜日だけど延長授業でお弁当が必要だったある日。その朝、お弁当を作り忘れた母親が、慌てて前日の晩飯のおでんを弁当に詰めて渡してくれた。おでんの汁は、弁当蓋の脇から染み出して教科書をビショビショにして、更に一緒に弁当に詰められたご飯も汁を吸ってビショビショ。私は食欲をなくしたものの、ここで食べなくては、またおでんの汁が染み出してくるので、仕方が無く、冷えたおでん雑炊弁当を腹の中に収めた。

    そんな懐かしき想い出がにじみ出てくる中、同じようににじみ出てくるおでんの汁と格闘しながら、私はランチを平らげる。今日は温かいし、そこまでご飯がびっしょりと濡れているわけではない。そもそも、我に返ってみると、これで500円は安すぎる。おでんの量はタップリだし、みそ汁とデザート付き。文句を言う方が間違っている。

    とは言いつつ、その年季の入った建てがまえの上に、唐突に古い記憶を刺激され、少し当てられたランチになってしまった。次回はフライライスという焼き飯や、ピット定食という玉子丼を食べてみたいけれど、このおふくろランチ以外の物を注文することは出来ないような気がする。この店に入ると、そんな不思議な魔法にかけられてしまっているのじゃないかと、そんな妄想が湧いて出てくるけど、案外、それは間違っていないような気もする。(2007.1)


    宮島街道が渋滞で、手っ取り早く食事をしたいなと思案していたとき、ふとこの店のことを思い出して車を向かわせた。少し離れた駐車場に入ると、何故かピットの看板が無くなっている。駐車場がなくなったかと思っていたら、店の隣に新しい駐車場ができていた。便利になったんだ。

    で、駐車場に車を止めると、ぷーんとカレーの香り。どこかでカレーを作っているんだなと、店に入ったら、今日のランチはカレーとのこと。そういえば、前回もランチのおでんの匂いが外まで漂っていたっけ。全く変わらないな。

    前回と同様、今日もカレーの煮込みが足らないらしく、少し待たされての登場。ミニサラダ、カレーライス、スイカ。カレーはじゃぶじゃぶのトロミがないタイプ。ジャガイモやにんじんがゴロリンと入っている。どこにでもありそうな家庭のカレーライス。って、またおふくろランチにしてしまった。次回こそはフライライスかピット定食に挑戦できるかな。(2010.7)