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カレイ喰らいの風上
 
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カレイ喰らいの風上

 居酒屋は、とても楽しい場である。美味しい酒があれば、なお楽しくなるし。旨い肴が食べられれば、さらに楽しくなる。気が置けない仲の大将に、今日は何がお勧めなの、と訪ねてみるのがよい。今日はこれがお勧めだね、と言って、私の好物を差し出してくれると、もう私の肝臓と胃袋は臨戦態勢に突入してしまう。そんな居酒屋が楽しくてしかたがない。

 そんな和気あいあいとした居酒屋でも、水面下では苛烈な争いが繰り広げられている。お勧めの品であればあるほど、その数に限りがあるのだ。例えば、隣の客がカレイの唐揚げを頼んだとする。あぁ、カレイの唐揚げがあったのね。私の大好物じゃないか。大将、こっちにもカレイの唐揚げひとつ。と言っても、時はすでに遅し。ごめんねぇ、こちらのお客さんで終わりなんだよ。と言ったセリフを聞くハメになってしまうのである。ちくしょう。

 私もいい大人である。そんなコトで拗ねたりはしない。平穏を装って、そっかぁじゃあいいよ、と素直にあきらめたフリをする。本当は、はらわた煮えくりかえっているのだが、そんなコトおくびにも出さない。代わりに小イワシの天ぷらを頼んで、素知らぬふりをしてみたりする。

 そうして、時間が経過し、となりの客にカレイの唐揚げが運ばれてゆく。しまった、逃した魚はでかすぎる。そのカレイは、20センチほどあるカレイ。刺身で食べても良いのではないかと思うほど、大きく美味しそう。私は、思わず、目の前を通り過ぎてゆくカレイに手を出しそうになったが、危ないところで羞恥心がその行為を止めてくれた。隣の男達もカレイの唐揚げを食べたいに違いない。そのエンガワにかじり付き、酒をゴクリと飲み干す権利は彼らのモノだ。私がその権利を奪うワケにはいかない。

 カレイの唐揚げは、捨てるところがほとんどない。さすがに堅い背骨などは食えないが、エンガワは下品に歯でこそぐように食べるのが正しい。少なくとも、私はそうやって食べている。さらに、カレイの頭にも下品に齧りつこう。上手に調理してあれば、頭部は柔らかくなっており、ちょっと苦くて歯ごたえがあるモノの、脳髄や頬肉をゴリゴリと食べることが出来る。それはもう、魚好きには堪らない美味しさなのである。この濃厚で複雑な味わいは、酒がすすんでしょうがない。カレイの唐揚げが一尾あれば、日本酒の3合は飲めるぐらいだ。

 が、どうしたことだろう。隣の客は、カレイの身だけをほじくって食べている。いや、それも正しい食べ方ではある。でも、いっこうにエンガワに箸を付けようとしない。カラッと火の通った頭も無視したままだ。キモの周りの、ちょっと苦みのある身にさえも興味を示そうとしない。ただ、食べやすい身を適当にパクついているだけ。こいつら、カレイ喰らいの風上に置けないヤツである。カレイ喰らいの風上がなんなのかは、よく分からないけど。

 いやいや、きっと彼らは美味しいモノは後に取っておくタイプなのだろう。まず、単調な味わいの白身だけを先に平らげ、食べにくいが味のある箇所は後からゆっくり食べる気でいるのだろう。その気持ちは、分からないでもないなぁ。私も一人っ子である。美味しいモノは、最後まで取っておきたい方だ。

 などと隣の男達を観察していたら、変な目線を感じた。目線の元に振り向くと、大将が哀れむような目で私を見ている。いやいや、カレイが食べたいんじゃないよ。今日のカレイは大きいなと感心していただけだよ。いや、ホントだってば。それよりも、小イワシの天ぷら急いでよ。

 隣の客は、相変わらず不器用にカレイをつつき回している。その証拠に、汚く食べ散らかされたカレイがチラチラと私の視界に入ってくる。まだエンガワも頭も残っている。頼むから、はやく食べてくれよ。と、無言のプレッシャーを与えていたら、あろうことか、彼らはカレイから目線をはずして、焼き鳥を注文しようよ、などと相談しはじめた。こんなことでは、カレイも浮かばれぬ。頼むから、せめてエンガワだけでも食べてくれ。でも、私の願いは虚しく届かず、カレイは放置されたままだ。旨そうな肝が寂しそうにへたっている。

 そういえば、私が魚のアラに執着するようになったのは、いつの頃からだろうか。子供の頃は、そんなに好きではなかったはずだ。祖母の真似をして、はらわたの周りにある身を食べていた覚えはある。でも、大人はなぜそんなモノを好きこのんで食べているのか、不思議だった。苦くて全然美味しくなかった。なのに、今は大好物である。もしかしたら、人は大人になるにつれて、苦みに対して鈍感になってゆくのではないだろうか。苦いモノを食べれば食べるほど、苦みに鈍感になってゆく。そうやって、やがて苦みの裏に隠れていた旨みに気が付くのではないだろうか。そうして、その味の虜になってゆく。苦いからと言って敬遠している人間には、一生味わえない旨み。そんな気がする。

 ふと気が付くと、隣の客は焼き鳥を頬張っていた。カレイは皿の上に横たわったまま。勿体ない。そして、その中の一人が追加のビールを頼むとき、トンデモナイコトをしやがった。カレイの皿を持ち、これもういいから下げて、と曰ったのだ。見れば、まだ頭はあるし、エンガワも残っている。背骨にこびりついた身さえもほじっていない。カレイの唐揚げは、これらがいちばん旨いんじゃないか。

 大将は、すこし躊躇したモノの、カレイの皿を下げようとする。捨てるなら、私にちょうだい。との言葉がノドまででかかった。しかし、ついに、私はそのセリフを発することが出来なかった。私もまだまだ修行が足りていないようである。でも、大将が、おまえの言いたいことは分かる。と目で語ってくれた。それがせめての救いだった。

初筆:2003年05月8日
加筆:2004年05月22日

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