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ポタージュカイロ
Copyright 2003-2021 GOKANBASHI WATARU. ポタージュカイロ 自動販売機とは、本当に罪なものである。例えば、忘年会でしこたま酔った男性が、人気の少なくなった夜道を歩いているとき、その寂しさと寒さは筆舌に尽くしがたいものがある。その日は朝から雲ひとつ無い快晴。それは日が暮れてからも同じで、容赦のない放射冷却により、今年一番の冷え込みになるのは確実な状況。その寒さのせいで、夜道ですれ違う人々もまばら。例え、誰かとすれ違ったとしても、みな帰途の人たち。ただ黙々と寒さに耐えながら足を動かしているだけ。そこには喧騒や暖かさとは無縁の物しか存在しない。そんな中、ちょっと心細くなってきて、煌々と明るい自動販売機に心を奪われそうになったとしても、当然のことである。 そう、悪いのは自動販売機なのである。寂しい男をその巧みな明かりによって誘い寄せ、あろう事か並ぶ商品には「あったかい」のマークである。思わず小銭を取り出して、「コーンポタージュ」のボタンを押したとして、誰が非難できるであろうか。腰をかがめて、コーンポタージュを取り出した瞬間、手のひらに伝わってくる暖かさにホッと頬が緩るむ。そんな光景に涙せぬ者はいないだろう。そして、コーンポタージュの缶を、その緩んだ頬にあて、至福の笑みを浮かべる男に優しい一言をかけてあげても良いはずだ。 でも、世の中そんなに甘くない。たまたま偶然通りかかったサラリーマンは、私と目があった瞬間、その目を不自然に反らし、そそくさとその場を立ち去っていってしまった。とっても傷つく仕打ちである。優しい言葉どころか、不審者として扱われてしまったのだ。きっと、彼だって暖かい缶コーヒーを頬にあてて、暖をとったこともあるはずだ。 そう、彼女と一緒に行ったスノボでのこと。真っ白なゲレンデを颯爽と滑り終えた彼に、一人の女性が駆け寄ってくる。彼女の手には買ったばかりの缶コーヒー。彼女はほほえみながら、そのコーヒーを彼の頬にギュッとあてる。彼は嬉しそうに、彼女のコーヒー受け取り、同じように彼女の頬にあてる。そのコーヒーから伝わる暖かさは、その温度だけではなかったはずだ。きっと、彼も至福の笑みを浮かべていたに違いない。彼は、そんな過去を持つくせに、私から目を反らしたのだ。酷い話である。それに比べれば、そもそも彼はスノボに行ったことあるのか、と言う疑問なんてどうでも良いことである。 ともかく、いたく傷ついた私は、コーンポタージュをコートの中へと隠す。これがまた暖かい。胸にあてると、その暖かさが身体の芯へと伝わってくる。今度は脇腹に押し当ててみる。ジンワリとした暖かさが、シャツの上から伝わってくる。肩に当てても、腹に当てても良い。そうして、コーンポタージュは私の身体をドンドン温めてくれる。それは腹の下の局部を素通りして、太ももまで達した。太ももは脂肪を蓄えていながらも、血流が弱いのか酷く冷え切り、コーンポタージュの温かさがドンドン染みてくる。私はついに立ち止まり、その温かさを刻みつけるかのように缶を太ももへ押し当てた。 と、そこへ若い女性が通りかかった。「いや、これは太ももにコーンポタージュを押し当ててるだけですよ。別に変なことをしているわけではないですよ」などと言い訳を述べるチャンスなど与えられるわけがない。彼女はカビだらけのパンでも見てしまったかのような表情で、私を遠ざけながら過ぎ去ってゆく。何たる失態。例えどんなに寒くても、コーンポタージュを太ももに押し当ててはいけなかったのだ。もしかすると、彼女はこのことを色んな人に言いふらすかもしれない。 「昨日ね、忘年会の帰りに変な人を見たのよ」翌朝、彼女は会社に出勤するやいなや、同僚の女の子に語りかけた。「アソコに手を入れて、ごそごそやってたの」と、ことあるごとにふれ回るだろう。「それは誤解かもしれないよ、その人はコーンポタージュを太ももに当てて暖をとってたのかもしれないよ」と忠告してくれる同僚が居てくれれば良い。しかし、まっとうな人であれば「今度その人を見かけたら、即警察に連絡しなよ」というアドバイスをするであろう。もしも、今度彼女と遭遇することがあれば、私は警察のご厄介になるかもしれないのだ。全く酷い話である。それに比べれば、本当に彼女が会社勤めをしているのかどうかなんて、どうでも良いことである。 私はいたく落ち込み、もうコーンポタージュをカイロ代わりにすることを止めた。コーンポタージュ本来のあり方を全うしようと思い至ったのだ。私は缶を良く振り、プルトップを開ける。コーンの香ばしい香りが立ち上ってくる。そうしてゴクリと一口飲み込むと、不味い。そして、ぬるい。さっきまであれほど暖かかったのに、口に含んだ瞬間のぬるさは耐え難い物がある。私の脳みそは、熱々のポタージュが舌の上に広がるのを予測し、それに備えて火傷しないように万全の体勢をしいていたのだ。そこに、こんなぬるい物がやってくるとは、酷い仕打ちである。 こんなコトなら、カイロとして使っていた方がマシだった。しかし、今更、これを太ももに当てると私の足下はポタージュまみれになってしまうことは必至。覆水盆に返らず。こぼれたミルクも返らない。私は使い道の無くなったコーンポタージュを手に、途方に暮れることになってしまった。飲み干すことを放棄したコーンポタージュを片手に、手をポッケに仕舞うことも出来ず、それからの帰り道は、一層寂しく、そして寒く辛い物になってしまったのだ。そもそも、あそこへ自動販売機さえなければ、こんな目に遭わずに済んだはずなのだ。全く、酷い話である。 それに比べれば、たとえ話の「忘年会でしこたま酔った男性」がいつの間にか「私」にすり替わっていたことなんてどうでも良いことである。 2004年12月31日 |